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メリークリスマス!
アメリカにいると、
多くの市民がそう感じているように
「今日、つまりクリスマス日は、
人生でとてつもないほど大きな日」
ということを思い知らされる。
そして、さまざまな歴史を知る。
私にとっては世界史そのものなので、
そのまま先住民の霊感というのを思い浮かべ、
さらには紀元前の世に想いを参じるのです。
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Nation The Pink Champagne on Ice 7′ ish
Photo by Brian Miller
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クリスマスは
イエス・キリストの誕生を祝うお祭りだと聞いた。
誕生を祝う日であって、
イエス・キリストの誕生日ではないともあった。
NAKISURFは今日が誕生日です。
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Photo by Ryota Kaneko
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13年前と少し前、
「(サンクレメンテの)シェイパーから直接サーフボードを販売しよう」
「プロサーファーが乗っていた中古ボード。プロ未使用ボード」
「サーフィンを正しくお伝えしたい」
そんなテーマとコンテンツでウエブページを作り始めました。
原稿の宛先はオーストラリアのアキちゃん。
アキちゃんは現在もNAKISURFの
エグゼグティブ・WEBマスターとして活躍してくれています。
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誕生当時のお話としては
ー大変だったことはー
お店を構築するわけではなく、ウエブページです。
しかもYouTubeなどは普及すらしていない。
文章と写真だけでサーフボードの仕様はもちろんのこと、
開発のためのシンジツや裏話をしたためまして、
試乗記であります『インプレッション』を充実させつつ、
WEBコンテンツとしての体裁を整えていくわけです。
サーフボード1モデルを表現するためには数日要します。
シェイパーの紹介もきちんとしなければなりません。
試乗記ですから自分でも乗りに行かねばなりません。
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Photo by Kaila Funaki
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シェイプについてわからないといけないので、
シェイプベイに馳せ参じます。
すると、シェイプをしている音がする。
邪魔をしてはいけない。
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なので、シェイプルームの外で、
iBook G3 Snowを足の上に置き、
他のコンテンツをパチパチ書き進める。
シェイプルームから出てくると、
質問をぶつけてまた書く。
シェイパーといってもアメリカ人です。
各人は確固とした技術も力学、造形力もある。
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ですが、
「これがこうでこうなっていて、その理由は〜?」
と聞きましてもなかなか言葉になりません。
「サーフボードというものをそこまで紹介するのか!?」
そう驚かれたり、呆れられたり、そんな日々でした。
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そして「年内にオープンしましょう。させましょう」
ディレクターとの約束があり、
それから私は1ヶ月とちょいの日々を
ほぼ仮眠のみで36日間乗り切りました。
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Photo by U-ske
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NAKISURFの誕生です。
記念すべき最初のお客さまは、
いまだにご連絡を取り合って、
NAKISURFファミリーとして思想を共有しています。
NAKISURFが始まる1年前に
サンクレメンテからノースハワイに越しました。
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ものすごい波で、
自分を再構築といえば聞こえがいいのですが、
サーフィンを「やり直し」始めたところで、
さらにはキャッチサーフがサンクレメンテで誕生し、
NAKISURFの初期コンテンツのひとつとなっていきました。
そんな中、
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こんな美しい風景に出会い、
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さらにはこんな美しい波も知りました。
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ハワイで生まれ育ったカイル鞠黒。
友人と波に乗る楽しさを知り、
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子どもたちと楽しく乗る幸せを発見しました。
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ハワイアンスタイルは、
オーシャンマンという基礎があり、
そのためにはたくさん泳げなくてはなりません。
ノースハワイの酋長の息子が、
島の南西部を取り仕切っているのですが、
彼は、
「リーシュをしないのならどこでサーフしても良い」
そんなことを言いました。
日本と真逆です。
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リーシュがないと、
お分かりのようにワイプアウトすると一大事です。
ボードは岩に激突するかもしれませんし、
よしんばチャンネルに流れると、
今度は海流プラス貿易風で、
私が泳ぐよりも速く流れていきます。
ただ、
全力で泳ぐとその距離は縮まるのですが、
オリンピック選手ではないので、
長時間全力で泳げません。
ボードを追尾して数時間も泳いだことがあります。
そんなオーシャンマンばかりの海は空いていました。
なぜならそんな無常なルールがあったからです。
そんな真のサーフィンを通過して、
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Photo by Tony Roberts
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サーフィンを追い求め、
昨年の今はコスタリカに行き、
エンドレスサマーを撮影した場所に陣取り、
レンタカーなしで1か月滞在し、
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信じられないほどのビーチブレイクを発見しました。
スケールといい、
波の合わさり方といい、世界クラス3つ星です。
そして四国。
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この旅では、
亡くなってしまった石田さんが一緒に来られているようで、
ポイくんやマナブくん、
森ヤンというさまざまな邂逅や不思議がありました。
さらにはベンチュラセイジの生誕の地ということで、
みなさんにはこの上なく良くしていただきました。
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そして海部のレキくんに勧められて、
室戸岬に行きまして、
次の満月に出たのがブルードラゴン。
しかもここはウナクネ会長由来のビーチハウスでして、
ちょうど青龍寺の裏手にあたる地形で、
そこから沸いてきた竜に驚きました。
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空海由来で私は一気に歴史に、
そして四国に傾倒しました。
話が逸れました。
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子どもたちと波に乗るヨロコビは今も引き継がれ、
現在私の弟子はラカ太郎くんと、この二郎くんです。
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「なんだ、かんたんだなと思いました!」
二郎くんのかんたん打法で、
私の悩みが解決していっています。
ありがとう。
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そしてNAKISURFのフロントは、
純粋、真剣、正義と、
しんの優しさを持ち合わせるハギウダとナカガワです。
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そしてふたりは現在フィッシュ中毒なので、
私は次なる章であるミッドレングスの魔力を伝えようともしています。
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フィンレスのふたり。
仕事も一緒、
波乗りも一緒。
そして乗る波も一緒というほど仲が良い二人。
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前出したアキちゃんとアスカさんがいて、
ナッキーがお手伝いして現在のNAKISURFが構築されています。
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NAKISURFを支えた亮太くんと、その奥さんの香ちゃん。
さらにここは千葉公平さんが愛した場所です。
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千葉公平さんに引き合わせてくれた中村竜さんのお父さん。
そして、今ドラゴンブームが来ていますが、
それも彼の思し召しだと思うのです。
竜から蓮となり、
思想はハスに舞い降りています。
その蓮思想をまとったのは、
ウナクネ法王となるラカ38世。
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彼の穏やかなハッピーサーフ思想に私たちは寄り沿います。
楽しく、幸せにみんな仲良く。
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話をノースハワイに戻しますと、
こんな日に独りサーフする毎日が続いていました。
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Photo by Bryce Johnson
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好きなボードで、好きなように。
誰も見ていませんから、
水着などもいらないのですが、
時折船が通ったり、たまに釣り師とか、
果てしないほどの距離を歩いてくる老人夫婦とかがやってくるので、
きちんと身に付けてサーフしていました。(笑)
さてさて、そんな楽園も海ですから荒れます。
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こういう日がやってきます。
やはり無人だったりもします。
文字通り「決死で乗る」わけですが、
時には、
「無常」という言葉の意味まで悟らされます。
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そんな無常観の中で旅に出て、
呼吸して、新しい友人を育み、
上記したように空海由来で日本の歴史に興味が出て、
日本書紀などを読みはじめました。
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個展もやりました。
これは日本記者クラブ内での栄えある展示ということで、
亡くなった両親にこの運びを見せたかった。
いや、見たことでしょうきっと。
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私は元々ショートボードのプロで、
修行を兼ねてやってきていたハワイとカリフォルニア。
1980年代のことです。
1990年となると、
当時はバドツアーというPSAA主宰のプロサーキットがありました。
そんなプロツアーにも出場しました。
ハンティントン、
オーシャンサイド、
サンディエゴのミッションビーチ戦。
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Christian Fletcher on
Tyler Warren’s Tracker 6’4″
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圧巻だったのは、
クリスチャン・フレッチャーがローワーズ戦で優勝して、
当時の賞金最高額
(高級車が軽く買えるほど)を受け取ったことでしょう。
彼のハイスコアは全てエアリアルでした。
プロサーキットはここから変わったという見聞録。
私はそんな中、
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クリスチャン・ワックと知り合い、
「(サーフボードの)サイズを問わないサーフィングとは」
そんな問いかけがあり、
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私は重いシングルフィンを会得するべく、
毎日乗り込んだ。
大きな日も小波もこれで。
そして強く、
恐ろしいほど速いターンが存在するという感覚を得た。
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フィンレスもやりました。
自由な飛翔感覚。
悲鳴を上げそうなほど速い降下速度。
全てがジェット機を操縦するほどの衝撃でした。
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バリのシークレットも発見しました。
これはドリームフィッシュという名作がありまして、
これを6’7″まで引き延ばしたものをタイラー・ウォーレンに作ってもらいました。
タイラーのことを今昔物語風にしますと、
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今昔、聖斧振に一人の人有り。
歳廿に至て、始て波乗道を発して、
御前(ハービー・フレッチャー→テリー・マーティン故人)に詣て、
出家して、御弟子と成れり。
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タイラー・ウォーレンでクリスチャン・ワックから続く
“Surfboards in all sizes”は結実し、
サーフボードシェイプは、
サーフボード博士でおなじみのライアン・イングルで、
自分の持ちうる質問群は全て帰結した。
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ショートボードからログまで。
宣伝など一切していないNATION MFG.。
サーフボード博士の渾身シェイプ。
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バリにも2か月間旅に出ようと行ったのだが、
あまりの混雑ぶりに半分に予定変更。
けれど、
「1971年のウルワツ」
私にはそんな掲げられたテーゼ、つまり命題がありました。
そこで、
ウルワツ波にキャッチサーフのスキッパーフィッシュで入り、
1971年、
全員がそうしていたようにノーリーシュで入り、
「流したらパダンパダンまで泳ぐ」と、
そんな決意が身を結び、
無傷で戻りここでも自分なりに決着が付きました。
壱岐で知り合った頃から友人だった気がする高間教授とバリで再会し、
珍妙な雰囲気の海岸でかけがえのない波も得ました。
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これもキャッチサーフでした。
NAKISURFはオルナタティブ寄りと、
ログボード、大波ガンの評判からECこと、
エリック・クリステンソンのオーナーシェイプ
『ECサーフボード』の販売を開始しました。
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Eric Christenson 2018
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彼のサーフボードの乗り味は、
まるで大きな羽根のペリカンのように柔らかく、
そして力強く波の中を飛び、
感覚をたどると、
それは夕焼けに霞む水平線のようでもある。
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ご縁があるようで、
中米エルサルバドル旅に同行したシェーン・ドリアンとも新島で再会し、
「サーファーのあり方」
そんな方術を教えてもらい、
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私たちの始皇帝ハービー・フレッチャーに、
ウナクネ老師横山泰介さんをお引き合わせたり、
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三蔵瀧朗の計らいで、
始皇帝と日本を満喫した。
奇しくも
私のメインビジュアルを使用し続けてくれたグリーンルームフェスティバルでした。
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そしてドノバン。
カリフォルニアで知り合って以来、
日本ツアーも一緒に廻り、
NAKISURF原宿のオープン記念にと、
シークレットライブを開催してくれたり。
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こんなショットも得た。
ビームスジャパンさんで個展をさせていただいたり、
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オーシャンズ誌ではノースハワイに取材に行きました。
もう走馬燈みたくなってきたので、
そろそろ終えなくては。
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ソフトサンドでのキャンプ。
これは10日間にも渡りました。
そして「つまり」は、
DFW=全て最高ということに帰結しました。
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そのDFW思想のバリー・マッギー師匠個展。
@サンタバーバラ
【テクニック思想編】[必読]新サーフィン時代到来記念!_DFWフィンレスで無尽蔵のエネルギーを得た日_(1656文字)
完全にはまとめられず、
あの人もこの人も、
あのこともこれもと書いていたら、
多分2〜3日かかりそうなので、
この項はひとまずここまでとし、
巻き上げさせていただきます。
ということで、
今日からNAKISURFは14年目に入りました。
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前出したタイラーがロゴを描いてくれました。
さらには『ライフスタイル・ストア』とも掲げてくれました。
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さらに超が付くほどのデザイナーのニックさまから、
こんなドリームライドのデザインを賜り、
この新しい羽根でさらに羽ばたきます。
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思想も商品、製品を含めて、
これからも末永くご愛顧賜りますようお願い申し上げます。
NAKISURF主宰
NAKI
船木 三秀
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Happy Surfing!!
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