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【サーフィン研究所】健康志向_MLB_メガクアッド・テスト中です_SURF&SURF Tのプロセス_(1502文字)

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Catch Surf ®ODYSEA Skipper Fish 6′6″

Twin + Twin

.

トレーダージョーズでもそうだけど、

ジュース人気がとても高い。

濃縮していない、

生だとか、

発酵コンブチャだとか多種ある。

これを見ると、

アメリカ人が突然健康に芽生えたかのようであるが、

昔からジュースマニアはいる。

ハービー・フレッチャーなどはその一例で、

コールドプレス(低温低圧圧縮方式)という言葉が、

一切普及していない頃から飲んでいて、

「これを飲んでいれば、健康だぜベイビー」

と言っていたのを思い出した。

昔の不良はタバコ、

酒等、

体に悪いものを好んでいたが、

最近は健康志向になっているらしい。

私はサンオノフレ・サーフ・カンパニーのホーム・パーティーがあったので、

みんながやたら好むモデロ・ビールを持って参上した。

18本で30ドル。

1本184円なので、

日本の価格にすると少し安いくらいだろうか。

とすると、

アメリカのビールも高価になってきているということになる。

バドワイザーは相変わらず1本100円くらいなので、

こちらはなぜか安い。

大量生産だからだろうか。

これはサンクレメンテに到着して、

本社から私用のスキッパーフィッシュだったり、

プランクを得たフレッシュな視界。

基本キャンプなので、

ブランチというか、

たっぷりとサーフした後の朝食はこうなる。

少し前になるけど、

大谷翔平くんが活躍するエンジェルス・スタジアムに行ってきた。

すごいのが、

こうして文字通りの看板選手となっていて、

彼の成績を見れば当たり前なのだろうけど、

実際にこの看板やチケットを見ると、

いちファンとしてとてもうれしくなった。

野球マーケットは、

いまだにとても大きなものだが、

こちらもサーフィンと同じで、

若年層の人気を獲得すべく、

球団やMLB機構はさまざまなプロモーションをしているようだ。

 

ちょうど”Ohtani T Day”だったらしく、

この顔写真Tシャツを入場記念にいただいた。

試合後はジャンボリー沿いのアジア街に行くのは、

21時を過ぎるとファストフードしか食べられないからで、

でも行ったけど、

この混雑にめげて何も食べなかったことを思い出した。

ツインにVEKTORという水流系フィンセッティングを編み出したが、

ツイン+ツインというコンセプトを思い付き、

テストしてみると、

その精確なターンに驚いた。

難点は重いような気がすることで、

けれど、

こうして画像を見てみると、

トラック(軌跡)は深く入り、

そして本格的なターンが出来ていたことに感激した。

ナッキーもこのセッティングが気に入ったようで、

シングルフォイルのツイン+ツインで、

メガ・クアッドと命名するに至ったのです。

ホールフーズ・マーケットに行くと、

いきなりランボルギーニが前に停まっていて、

アメリカの高景気というか、

そんなものを感じながら撮ったことを思い出した。

先日ここでお伝えしたTシャツデザインの続編だが、

こんな完成予想図を得た。

生地はサンクレメンテで染め、

それにウオッシュをかけ、

さらには浸透インクで生地に馴染ませようと、

前田博士とユッチたちが研究を繰り返している。

色の配合というのがあり、

こうしてgという量単位でそれぞれ管理すると、

狙い通りの色彩となるようだ。

こうして各色を混ぜていく。

まるでアサイーボウルのようだが、

博士たちはまだ明るいと判断したらしく、

少し濃くして、

SURF&SURF色が完成しました。

サンプルプリントが始まったら、

またここに報告いたします。

【巻末リンク:T初日の模様】

【サーフィン研究所】ニューポートビーチ_エンジェルス・スタジアム_SURFX3番外編_(1026文字)

Happy Surfing!!


【サーフィン研究所 |巻末リンクx4】バックサイドのバレル_アラジン2020_CJネルソンとメガ・クアッド_(1539文字)

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私はこれまで35年間をかけて、

あらゆる塀や樹木、

または本棚や壁を波だと想定し、

仮想的に張り付いてきた。

その結果、

バックサイドのバレルが得意となった。

だが、

2017年の12月に膝を痛めてしまい、

この19か月間は、

張り付きを封印していた。

けれど、

今年の7月頃、

ブルードラゴンの土佐高知で、

膝が少し曲がるようになった。

さらに書くと、

曲げても膝が腫れなくなった。

完治までどのくらいかはわからないけど、

正座は全くできないのだが、

60%くらいまでは治っているようで、

とにかく快方に向かっているのがうれしい。

少し前までは、

「半月板損傷だから手術だ」

そんなことになっていたので、

自然治癒で治るとは想像すらできなかった。

やはり桑田(そうだ)山温泉(高知県須崎市)の湯効だろうか?

または浦ノ内湾下中山の妖力、

青龍寺奥の院の御利益?

いやミヤアの恩返しだと、

そんなことを考えていた。

いつのまにか睡っていたようで、

先ほどイタイイタイと目が覚めたところだ。

それまで夢を見ていて、

順を追って思い返すと、

それはアラジンのストーリーがベースとなったものだった。

ただ、

アラジンがタヌーマンだった。

あらすじは、

青年タヌーは、

土佐高知ウラノウチに暮らしていて、

タヌキハンター=タヌキ油生産者として貧しい生活をしていた。

タヌキの皮を剥いで油を取るサーファー。

そして私の前に現れたのがランプの魔神。

どんな願いごとでも3つまでかなえることができるという。

そしてその魔神を良く見ると、

それは高知の宇賀くんであり、

話しかけると、

僕はアラジン内の魔神ジーニーではなく、

ガショーという名前なんですぅと教えてくれた。

もっと書くと、

ランプはあの黄金のランプではなく、

タヌキの置物が持っている

「八」と漢数字が書いてある酒の瓢箪だった。

なんだか変だな、

奇妙だと思いつつも、

その願い事はなんだろうかと想いを巡らせていると、

なぜかタヌーマンは、

ダクトテープ鵠沼(巻末リンク)に出場していて、

あの「エイハブ船長のポーズ(巻末リンク*2)」が、

ジョエル・チューダーとデヴォン・ハワードたちの賞賛を受け、

全てのヒートをダントツで勝ち進み、

なんと優勝してしまうのであった。

あ。

でもきっとこれは魔神ガショーの魔法だとわかった瞬間、

足が攣って目が覚めた。

そんな夢。

こちらは名作おにぎりだが、

オヤブンというのは、

ウラノウチの宇賀えいじさんのことらしく、

(シナモンは巻末リンク*3に)

秘伝のたぬき味というのは、

おいしいのだろうか?

そんなことを考えていた。

下の画像は、

エアポート・バンクの午後で、

「オン(風)が入ってきたから」

そんな理由でピークは無人となった。

そこにはガショーこと、

宇賀くんがいて、

一緒にパドルアウトした日。

私が荒れたリップにセットインしたのは、

タイラー・ウォーレンのドリーム・フィッシュ。

こうして一緒にハッピーサーフしたことは、

一生忘れることができない記憶を焼き付けた土佐高知。

さて、

こちらはサンオノフレ。

マンライ(©満足ライディング)をして上がってくると、

サンタクルズのCJ(ネルソン)が駆けつけてきてくれた。

ああひさしぶりです。

元気で何より。

(巻末リンク*4を)

そんなことあんなことを話した。

私たちはそれぞれの人生を生きていて、

サーフボードの性能マニアのCJに、

新提案のメガ・クアッドを見せた。

「これがあの動きの軸だったのか」

そう驚いていたのが印象的だった。

続きますね。

【巻末リンク:ダクトテープ初上陸!】

【ドラグラ・プロダクションズ特報&特大号】ダクトテープが湘南で開催!!_WSLは顕教でドラグラは密教!?_サンオノフレ・ライフガード_(3079文字)

【巻末リンク*2:エイハブ船長について】

【タローマン特大号】タヌキマンはエイハブ船長!?_土佐清水食_(3122文字)

【巻末リンク*3:シナモン風味由来について】

シナモン・タヌーマン_石川啄木VS北原白秋_(1070文字)

【巻末リンク*4:CJネルソンとのサンタクルズ】

感謝祭のCJネルソン_波が上がってきています_Z1サーフスーツの来季モデル_(1138文字)

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所特大号】クリスチャン・ワック今昔物語_タイラー・ウォーレンのパフォーマンス・シェイプ_(2132文字)

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Sage, Tyler Warren and Christian Wach

.

セイジとタイラー。

芸術家同士のカップル。

クリスチャン・ワックもアーティストであるので、

ここにいる全員がこんな符号の共通点を持っていた夜。

タイラーはクリスチャンの大親友。

そんなことで私はタイラーと知り合うことになった。

クリスチャンは、

NAKISURF初代上総一宮駅前店までやってきて、

ストア・フロントにこのアートを寄せてくれた。

なつかしい。

このストア当時にお世話になったみなさま、

ご利用くださったみなさん、

改めまして、ありがとうございました。

私たちは彼を新島に連れていった。

まだティーンエイジャーだった。

新島前浜港でのクリスチャン。

東京竹芝桟橋までは、

ユータ(瀬筒雄太)がクリスチャンを連れてきてくれた。

これは彼の当時の車だろうか。

クリスチャンは、

明るい性格で、

友人や家族を愛し、

事物に関心があり、

環境適応が早い。

内なる主観的要因にも理解を示し、

思慮深い。

周りの意見に左右されない。

知性によって気運を捉える機能を持ち、

万物の背後の可能性を知覚する感覚がある。

英雄型であり、官能型でもある。

理論、経済、審美を兼ね揃え、

受容的であり、

遂行するためのタフさを持つのは、

生産的とされる所以(ゆえん)である。

観察者であり、

なみなみならぬ情熱と挑戦心を持つ。

開放性と同率の知性は、

人との調和を図るのに長けていて、

サーフ世界では、

自然性と現実性を見極め、

勤勉かつ、

いいかげんで、

そんなさじ加減で全ての調和が取っている人だ。

良く書きすぎだと思うのだが、

なかなかこうして単語をあふれ出させる人は少ないので、

ここに記録しておきます。

その彼はいま30代となり、

人生を謳歌している。

クリスチャンとの出会いがあって、

タイラーとの今の関係がある。

クリスチャンとの出会いに遡ると、

ハービー・フレッチャー始皇帝の言葉を思い出す。

「サンクレメンテにな、

クリスチャン・ワックというすごいサーファーがいるぞよ」

そう聞いたのは、

まだ携帯電話が普及する以前だった気がする。

ガソリンが1ガロン1ドル台で、

サンクレメンテには、

アウトレットもトレーダージョーズもなかった。

その代わりペドロス・タコスがあり、

タカオの

『オール・ユー・キャン・イート・スシ』があった。

この写真は昔過ぎるが、

私が初めてサンクレメンテに行ったのは1980年代だったので、

こんな雰囲気の街だったのを覚えている。

みんなゆっくりと車を走らせるオールド・アメリカのタウン。

そして去年の今日!

セイジとタイラーのウエディング・パーティがあり、

タイラーのベスト・マンをクリスチャンが務めた。

Christian’s TW Dream Fish

.

そしてクリスチャンは、

自身のブランド『CANVAS』を休止し、

タイラー・ウォーレン・シェイプスに乗り、

NAKISURFもそれに追従することで、

本家と足並みを揃えた。

私にとってのタイラーとは、

アーティストであり、

造形者、

シェイパーであり、

そして何よりも大きいのは、

彼がグレイトなスタイルのサーファーだということだ。

私が20歳のとき、

ドラグラ長老の横山泰介さんがあるサーフムービーを持ってきてくれた。

それは『the Performers』というもので、

1983年の冬、

‘84年の新春まで、

クイックシルバーが、

スポンサーするサーファーによるノースショアだった。

自身のシェイプで、

ここまでスタイリッシュにサーフする人は稀だろう。

パフォーマンス・フィッシュ。

フィンの造型にも心を寄せていて、

ジョージ・グリーノウではないが、

彼のフィンが50年後にももてはやされると私たちは信じている。

タイラー・ウォーレンのショートボード、

フィッシュやソープ(ミニ)シェイプの特徴は、

「ライディング・エモーション」

という表現に行き着く。

これを”ドキドキ感”と訳してみたが、

この感覚を高めつつ、

「パフォーマンス」を強化したところだろう。

これは今日現在のタイラーのボードルーム。

ありとあらゆるシェイプがあり、

実験的なもの、

長短大小と七色のボードが揃っている。

そして彼はこれらボード全てを完全に操ることで知られている。

私にとっての理想だ。

今年の台風もタイラーボードで各地の銘波に乗った。

例えば、

この海賊岬だったり、

ブルードラゴンと長いバレルを抜けて、

やはり高いライディング・エモーショナルを与えてくれる。

正確なるトリムが可能なゆえ、

深いバレルもバレルアウトできるので、

テイクオフの位置の幅も拡がった。

これはバリのビッグロックでの初乗りだったが、

このドリームフィッシュで、

ツインフィンの可能性というのを大きく拡げたシェイプだった。

ただのフィッシュではないことが証明された瞬間だった。

ということで、

タイラー・ウォーレンに直接

『*ワン・オフ』をオーダーしに来たのでありました。

(*ワンオフ「one off」=ある目的のために製作されたもの

一度限り作られるものという意味)

続きます。

【巻末リンク:クリスチャン登場】

今宵花咲く太東岬で、クリスチャン・ワックがCJログでウナクネ道派を貫いた日

【セイジ&タイラー・ウォーレンの結婚記念】

【お祝い号】セイジ&タイラー・ウォーレン結婚式_(1526文字)

【文内に登場したパフォーマーズ映像】

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所2】タイラー・ウォーレン『ワン・オフ』_(1494文字)

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Tyler Warren’s Fishes

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こんにちは、

「即位の礼」ですね。

令和も平和で、

幸せでありますように。

さて、

昨日からの続きですが、

タイラーに直接ボードのオーダーをしたく、

そしてもっと言うと、

『*ワン・オフ』

のオーダーにタイラー家にやってきたのでした。

(*ワンオフ「one off」=ある目的のために製作されたもの

一度限り作られるものという意味)

タイラーのサーフィンは、

WSLレベルでもあって、

ドラグラ界(オルタナティブ・サーフ)の象徴である

ダクトテープでも頂点にいる。

かんたんに言うと、

オールラウンドの世界制覇人であり、

「サーフボードの最高峰をシェイプする」

シェイパーサーファーとしての理想でもあります。

造型はもちろん、

歴史にも造詣が深く、

これもやはり尊敬に値するヤングマンなのであります。

彼のパーソナルシェイプ。

メジャーのシェイパーがひれ伏し、

さらには他社と契約しているプロですら、

お忍びでオーダーするというカルト人気のサーフボード。

本人によるテストライド。

バレルも深く、

そして正確だ。

フィッシュからミッドレングス。

美しい。

そんなことで、

やってきたのはタイラーのスタジオ。

自身のTシャツの完成に顔をほころばせ、

そして詳細を確認して、

きれいに折りたたんでいた。

1971年のボンザー。

今年の台風2号はこのレプリカモデルで、

奄美大島の逸波に乗りました。

(巻末リンク)

さて、

今回私が求めた『ワン・オフ』というのは、

「この1本」

つまり、

「私が乗れる全ての波に合うボード」

ということ。

以前タイラーにNALU誌でインタビューした際に、

「もしも1本だけしかボードを持っていけないとしたら?」

そんな質問をしたときに、

彼は

「2+1の6フィート半くらいのエッグシェイプだね」

そんなことを答えたのを思い出して、

私も「1本だけ」というミニマリズムに沿って、

この究極の1本を作ってもらいたかった。

ちょうどタイラー本人の2+1が完成したところで、

このテンプレットでもいいのだが、

私用の新しいテンプレットで製作するべく、

ボードルームに行ったり、

タイラーが本日乗ったというさまざまなボードを見せてもらった。

私のスタイルに、

そしてカリフォルニア、

土佐ブルードラゴンや奄美、

千葉や湘南、ハワイ、

コスタリカ等々全ての波に乗れるデザインを求めた。

ディスク、

パフォーマンス・フィッシュ、

フィッシュ、

ジッパー、

ショートボードの長いの、

そんな全ての要素が入ったボードをお願いした。

数十分のやり取りがあって、

タイラーは得心したようにオーダーカードに向かい始めた。

これが私のワンオフ6’5″となった。

タイラーは超多忙なので、

期間も設けないというスキップ・フライ式とした。

色もオマカセして、

1970年代風の彩色にうれしそうなタイちゃん。

余談だが、

これがタイラーがNAKISURFのために描いてくれた曼荼羅ロゴ。

ライフ・スタイルというのは、

サーフィンも全てを含めてのスタイルということで、

そんな提案にうれしくなった。

タイラー家にズバズドズド〜とハーレー群がやってきて、

すわ!

ヘルス・エンジェルス!?

そう思ったらタイラーのお父さんのゲーリーであった。

さすがタイラーのお父さんというだけあって、

こんなあふれるスタイルにうれしくなった。

今回は、

私の写真にタイラーのインスタグラム・ポスト作品を使いました。

さすがタイラーということで、

すばらしい作品群でした。

それではワンオフ6’5”完成までお待ちください。

新春ごろかなぁ。(嬉)

【巻末リンク:1971ボンザー@奄美】

【サーフィン研究所:思想と科学】波に乗るボンザーという魂と真意_『心の中の波』の作り方(2277文字)

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所】サンオノフレ・サーフ・カンパニー_アル・パスター・タコス_フィンと食の研究_(1593文字)

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Tyler Warren and his Performance Fish

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「タイラー・ウォーレンの『ワン・オフ』をオーダーした」

というところまで昨日書いた。

ファイルに写真がたまったので、

少し回想編を含めて書いてみます。

こちらはサンオノフレ・サーフ・カンパニーにかつ禅師ご一行がいらして、

ビールのバナーのおみやげに大喜びのジョーイ・ランバート主宰。

彼は人格者として知られ、社員たちや友人からの人気が高い。

ジョーイは元々はトラベルサーファーで、

カリフォルニアというよりは、

南アフリカのJベイでよくサーフしていたという過去を持つ。

カタログが完成しました。

新作は、

ダクトテープ後の渋谷区でお披露目されます。

サンオノフレ・サーフ・カンパニー号。

ノスタルジア。

こちらもノスタルジアと、

クラシックのミックス。

リンジーが持つのは、

トートバッグ。

タオルと、新色T。

波情報の看板。

NAKISURF千葉に欲しい。

ワイリー・アーチボルドが、

スケートボードをハーフパイプでグラインドし、

ギュウちゃんと、

漫☆画太郎ではないか?

と噂される菩薩金澤さんに演舞を求めた瞬間が映っている。

サンオノフレ・サーフ・カンパニーの才女というか、

ハンドメイド・マスターのヘイリー。

NAKISURFでもボードバッグが人気でした。

彼女はこれからダクトテープ出場のため、

成田空港経由、

湘南藤沢8ホテルまで向かいます。

(私もどこかで合流します)

お会いする方、

どうぞよろしくお願いします。

さて、

その夜はサンクレメンテ、

オールドタウン・プラザ(パリザダ)の

『ロス・パティオス』へ向かった。

ここは、

本格的なアル・パスター・タコスを出す店として知られていて、

それはトルコのケバブ、

またはギリシャのジャイロに似ていて、

こうして豚肉を回して焼き、

上にあるパイナップルの果汁が、

その風味を付けていくというもの。

タコスでいただくとこんな視界と、

メキシコの味覚にうっとりとした。

キャンプ生活なので、

たいていはこうして深夜にサンオノフレ州立公園にやってきて、

入場列に並びつつ、

睡眠を取るというスタイルだった。

前はジェイモーで、

列の先頭はたいていバハ・ビルがいる。

朝6時に開門となる。

先日片瀬の池田潤ちゃん家で、

「グラグラすると調子が悪いよね」

そんなフィンの話となった。

彼は結束バンドを使って固定すると言っていたけど、

私はテープを使って完全固定してみた。

こうすると、

ターンのときに生じる「抜け」とか、

「間」がなくなります。

フィンを固定するのは、

NAKISURFで購入したスクリュー。

日本製で、

アメリカ人に超人気だとわかった。

かさばらないので次回の土産物決定品でもあります。

「マンゴーがおいしい店があるぞ」

そうミラーが教えてくれたのは、

サンクレメンテの「ピコ・プラザ」にある99セント・ストアだった。

ここにはフォーの名店『タンビン』があったり、

大きな文房具屋『ステープルズ』がある。

かつての名店「スタッフド・ピザ」は、

新オーナーとなり、

味を落としてしまったのが悲しい。

これは、

マザーズ・マーケットのオレンジジュースマシン。

「トマト缶が危険」と知られて久しい。

これは化学物質BPA(ビスフェノールA)が、

缶内側コーティングされているからで、

かなりの健康上の問題が指摘されている。

トマトの酸がこのBPAを瞬時に溶かす。

でも最近は、

こうして『BPAを使っていません』表示が増えた。

ヘア・カリフォルニア風のレコード屋。

午後開店ということだが、

なんだか親和感を持った瞬間でもありました。

メガクアッドの威風。

コスタメサの名店。

サンクレメンテの自然食品屋『ハンセンズ』が閉店していた。

ここのサンドイッチが好きだったので、

ミラーとふたりで肩を落とすと、

ナッキーが完全コピーしてくれた。

【サーフィン研究所】スキップ・フライのフィン哲学_コスタメサの新店『オラ・アディオス』_サンクレメンテ風景_(1467文字)

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ブレーキ・マイケルズは、

アンディ・ニエブレスと同じく、

低評価組の旗頭だが、

彼のノーズライドは世界一と聞いたり、

マジックフットは、

トミー・ウイット以上だとすると、

評価は悪いどころか良いとすら思える。

寒い夜明けサーフを通過し、

サンディエゴのソラナ・ビーチに行ってきた。

Old 101 Highway

.

海沿いの美しいハイウエイ。

瀧朗とラカ法王、

そしてタキビシたちの帽子でおなじみのミッチーズに行く。

これがその帽子をかぶった法王と摂政瀧朗。

@大新藤沢店

Seeaが大展開されていた。

スキップ・フライとサーフする機会に恵まれた。

サーフィン研究所として、

そして私が抱いている疑問があり、

それは、

「(フィンは)シングル・フォイルか、
ダブル・フォイルなのか」

ということだった。

その質問にもスキップは明解に答えてくれた。

ブレードの有無、

そしてトリムにおいてのフィンの重要性。

そんなことこんなこと。

現在さまざまなフィンをデザインしているので、

滑聖とされるスキップにお話を伺えるのが、

ただただありがたかった。

スキップのメガフィッシュ。

これは10’6″だとおっしゃっていた。

美しく、

有名すぎるスワローテイル。

そして正確すぎるアウトライン。

芸術そのもの。

ラウンドと、

スカッシュの新概念のテイル。

こんなロッカーバランス。

ただただ美しい。

閑話。

アレックス・ノストたちの街であり、

オレンジカウンティのファッションシーンを引っぱるコスタメサ。

この55フリーウエィ沿いに新しいカフェがオープンする。

『オラ・アディオス』

これはスペイン語で

「こんにちは、さようなら」という意味。

このネーミングの根底には、

インアンドアウト、

「出たり入ったり」

ということを現しているのだとわかる。

つまり、

「コーヒー等をすぐにお出しいたします」

という意味であるらしかった。

店主は、

昨日登場したEC、

エリック・クリステンソンの親友の

ライアン・ヒメネス。

彼はスタンプタウン時代から

「コーヒー博士」として知られていて、

私も計量器片手にモクモク湧いた湯でドリップするのは、

主にライアンの影響である。

最上級のエスプレッソ・マシンがあり、

この店にかけるライアンの気持ちが見える。

「お昼寝中ですが、もうすぐ起きます」

そんなサインとライアン。

ライアンは、

ブライアン・ミラーの親友でもありました。

仲間のすてきなお店に期待大であります。

コスタメサから30マイル南のサンクレメンテに戻る。

ちょうど50km弱くらいの距離で、

フリーウエィの速度で言うと30分です。

CJのプロマスターが前にいた。

Dodge RAM ProMaster Cargo Van 3.6L

ロード・ウォリアーズ(キャンパー)にとって、

すばらしい名車になることだろう。

キャッチサーフ本社でミーティングがあり、

そこから見える第二駐車場。

曇って見えるのはスモークガラスの効果で、

外気は26度、湿度55%はこう見える。

バンズのアウトレットがサンクレメンテにあり、

サンプルの、

なかなか興味深いスリップオンを得た。

夕食は、

イエローカレー・ヌードルと、

パイナップル・チキンを作成し、

ミラー家の賞賛を受けた。

デザートはミラー・スタイルの、

『ベン&ジェリーのフィッシュフードとクール・ホイップ』

で完全試合。

ワイリー・アーチボルドとクリスチャン・フレッチャー。

波に乗りながらハイ・ファイブ(タッチ)するのって、

しかも

「アーチボルドとフレッチャー」

というそんな伝統的なことに感じいった。

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所】1971ボンザーのフル・レプリカ_(1331文字)

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アンディたちがサンクレメンテに帰ってしまった。

伊豆三部作として、

7700字強(原稿用紙20枚)の大作後、

NAKISURFダブル・カレンダーという感激があった。

ちなみにこちらが卓上用の表紙です。

カレンダーの詳しくはこちらをどうぞ↓

【サーフィン研究所特大号:伊豆まとめ三部作、後編】NAKISURFカレンダー2020ダブル_朝陽のフルジップ・パーカを手染しました!_さよならアンディ・ファミリー&ありがとう伊豆〜!_(3465文字)

なんと、

ボンザー1971が完成寸前となっていた。

人間で言うところの臨月だ。

このボンザーに出会ったのは、

キャッチサーフの横にサーフィン博物館

『Surfing Heritage and Culture Center』

だった。

そこで歴々のサーフボードを見た際に、

私はなぜか

「1971年ボンザー」

に惹きつけられてしまったのだ。

どうしてもこれに乗りたく、

タイラーにもお願いしたが、

モダンなる感が長所でもあるのだが、

あのレトロ感というか歴史感を得られなかった。

熟考を重ね、

思い付いたのが、

サーフボード博士の前田くんにフルコピーをお願いすること。

ギークというか、

サーフボードマニアであり、

おたくであり、

技術者の前田くんならやってくれる、

そう思っていた。

それからおよそ半年の時を経て、

今完成しようとしていた。

ボンザーに出会ったのはいつだったのだろうか。

昔のデザインでありながら、

現代でも十分すぎるほど加速するトルクと、

ムチムチするほどの操作性が私を魅了した。

これが1970年製というボンザー。

クリスチャン・フレッチャーが所有し、

いまはバリー・マッギーが乗っている。

  

ちょうどタイラー・ウォーレンも同様なのを持っていて、

彼にもコピーをお願いしたのが昨年。

これがこのボンザーとなり、

奄美や各地で逸波に乗り、

私の夢のひとつをかなえてくれた。

また私が拠るドラグラ・プロダクションズでは、

アレックス・ノストという総帥がいて、

彼がスリフトストアで、

1973年のボンザーを発見したのが5年前。

(巻末リンク参照)

それから純正に惹かれ、

さまざまな場所で探したたが、

これというものは見つからなかった。

ロゴとかシェイパーとか、

そういうのではなく、

あの当時のざらざらさとか、

ボランクロスの浮きとか、

樹脂の重さとか、

そんな質感が欲しかった。

言い伝え、

伝承とされているが、

総帥の誕生時には、

右手でサイドフィンを示し、

左手でセンターフィンの形をなぞらえ、

「天上天下唯BONZER独尊」

と話したとされている。

「これは全世界でボンザーが一番尊い」

と広く解釈されているが、

じつはこの場合のボンザーとは、

サーフボードのシステムやデザインのことではなく、

「ボン=梵、ブラフマン:宇宙を支配する原理」

「ザー=3、参。欲界・色界・無色界の三界」

ではないか、

というのが最近の学説に多く見られる。

そして、

少しずつ1971のボンザーは検証されて、

さまざまな謎解きがあり、

当時の行程を知るサジーにも聞き、

巻くクロスやその位置、

ラップという余剰分やフィンの立て方、

リーシュロープ等々に及んでいき、

半年が経過した。

ついに、

ボンザー・フルレプリカの完成が近づいてきた。

(続きます)

【巻末リンク:総帥アレックスのボンザー】

新ボンザー物語序章_(1545文字)

【巻末リンク*2:深いボンザー話】

【ウナクネ大全】天上天下唯梵参独尊_アレックス・ノスト総帥は龍顔麗しく教会岬にお着きになった_(1887文字)

【昨日まで続いた大作:伊豆まとめ編です】

【サーフィン研究所:テクニック編&伊豆まとめ三部作、前編】How To本より40倍早い上達方法_波の上を滑ること_さよならアンディ・ファミリー!_ありがとう伊豆_(1755文字)

Happy Surfing!!

特大号【サーフィン研究所&ドラグラ】ここまでのまとめ2_意味もなく大作編_(2772文字)

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昨日は東京。

サザエさんの街とされる桜新町にいた。

写真のハガレ、

カルディ、

スターバックス、

大丸ピーコック、

そこでさまざまなことを勉強し、

第3京浜経由で湘南にやってきた。

第3京浜から横浜新道に連絡するトンネルで、

昔の通行料金が150円だったことを思い出した。

横浜新道が100円で、

東京の往復には500円だったことや、

横羽線の大渋滞とかそんなことこんなこと。

私が18歳のとき、

つまり36年前のことだ。

鎌倉で中村竜さんに獺祭を学び、

瀧朗からはカワウソ論を聞いた。

すると、

獺祭焼酎というのが出てきた。

日本酒なのに焼酎とはどういうことだろうかと思い、

聞いてみると、

獺祭を醸造する際の粕で蒸留した焼酎というものだった。

おお!

ビビビと来た。

その電波の主は、前田博士であった。

1971ボンザー・フルレプリカが、

もうすぐ完成するという。

ああ、早く千葉に行きたくなった。

こちらの用件を済ませて、

早く戻りたい。

少し前には、

サンクレメンテに戻っていた。

San Onofre, California

Catch Surf ODYSEA® Plank 8′

.

アナハイムのエンジェルス・スタジアムに行くと、

MVPのマイク・トラウトと、

大谷翔平くんがチケットに印刷されていて、

名実共に看板選手なのだと再確認させられた。

1階の8ラウンジで、

この車番は7番ではなく、

38番だったら壁に貼るのに、

などと思いながらコーヒーを飲んでいると、

後ろに瀧朗が立っていた。

ドラグラ界では、

法王を支える摂政役である。

「38でどう?」

こう聞いてみると、

「38の約数は 1です」

「——」

「そして2でありまして、19で38です」

「——うん——(もうほぼ聞いていない)」

「38は、三連続素数の、平方和で表せる最小の数なんです」

「本当?」

「はい、けれど矛盾が生じています」

「なぜ?」

「38度線などはその良い例です」

「・・・・」

「またはラスヴェガスのルーレットの升の数も38です」

「(矛盾でないような気がするけど)博識だね、さすが摂政」

「サンパチ豪雪もそうですし、ワルサーP38でもあります」

「ルパン三世だね」

「はい、その矛盾と同等の質を持ってしても、

38という数字は肯定できないという痛みが生じます」

「コーテイは始皇帝ではなく、YESという意味だよね」

「文脈から当然だと思いますが、

あれ、

ドサクサでウナクネカードの話をしようとしていませんか?」

「いや、そんなことはないよ㉚」

「とにかくですね。その矛盾には苦しまされるということです」

「(何もわからなかったけど)そうだね」

こんな会話があった。

意味もないのだが、

なんとなく瀧朗が伝わるので、

今朝の会話を再現してみました。

湘南は良く晴れていて、

緩いオフショア。

波はまだ小さい。

台風からの南東が入ると聞こえてくるけど、

いつのことやら。

オッタマゲール

.

湘南の前は四国にいた。

具体的には高知県の室戸岬だ。

そこで信じられないような朝陽を見て、

暖かい海水に驚いた日。

波乗りすると、

「こうしなさい」

「これはダメ」

そんな意味のわからないローカリズムを感じて、

これらはいくつかのコラムの燃料ともなった。

「サーフィンは、もはや冒険小説ではなく、

幼稚なフォークダンスをするように強制している」

などはここから誕生した名文であると信じる。

さて、

室戸では三山とされる寺に向かい、

空海が記したもの、

密を読み解こうとしていたら熱が出た。

三津(杉尾とも)神社のお祭りがちょうどあり、

獅子に噛みつかれ、

その厄に逃げ出していただいた。

獅子にかみつかれると、

無病息災(むびょうそくさい)、

商売繁盛、

魔除け厄除けの効果があるという。

室戸岬のパワー、

みくろど(御厨人窟)は宇宙の入り口だとかそんなこと。

このお祭りのときは、

夏みたいに暑かったので、

渾身の冷やし中華を作る動機となった。

ちなみにオクラは、

法王への贈答禁制品です。

シイタケもそうだと聞こえてきた。

逆に喜ばれるのがスーパードライか、

サッポロ黒ラベル。

食材は、

室戸市では唯我独尊というサンシャインで購入し、

さらには三津神社の氏子の河合和尚には、

小松菜と人参のコールドプレス・ジュースをいただき、

元気モリモリと、

はつらつ(溌剌)としていたら東から波が出た。

玉ちゃんのジグザグコーヒー4種が棚に見える。

噂のエアポート・バンクに行くと、

ハイカラ・マコトくんがいて、

彼は、

NAKISURFオリジナル・ツインをジマンのミッドレングスに付けていた。

私は彼から購入したミシンを使って、

NAKISURFカスタムTを自主製作していたので、

タイムリーな再会だった。

The Original Edition

何年もかけて作るTシャツもあります。

すでに手に入らなくなったブランクスを手染めし、

それをさらに染め、

ウオッシュし、

ステッチを施した。

室戸では、

コスタリカで完全燃焼しつつも、

原型をとどめたスキッパーフィッシュ6・6というのがあった。

(巻末リンク*2参照)

河合和尚が私から贈答されたものをいまだに大切にしていて、

『縁が巡る』

という意味を知らされたセッションともなった。

マコトくんと仁尾くんはライトへ行き、

私はライトから

200mくらい右側のレフトに陣取った。

無限に感じるほどの斜面が届き、

しばし至福時間に浸っていたことを思い出した。

誕生日に鰻をいただくという、

古典的かつ大きなごちそうは、

河合和尚(会長)からの贈りものでもありました。

ありがとうございます。

55歳になったと思っていたら、

まだ54歳だというので、

計算すると、

その通りでちょっぴり得した気分となった。

高知龍馬空港から文字通り飛んで帰り、

法王と大新の天津丼をいただき、

ナルちゃんの逗子サーファーズの前身、

ロースカがある金沢八景へは、

歯医者名医であり、

美女である関口ニーナ先生がいて、

彼女に歯のいろいろをお願いし、

その歯科医院からおよそ200m横には巨大なイオンがあり、

駐車場に入れるやいなやカルディに直行し、

銘品良品、

健康食品と嗜好品。

たくさんの買いものをした。

シブヤのスペースエッジで開催された展示会にも行き、

かなりの画とスシローの視界を得た。

サーフ話に戻ると、

土佐高知のゲッティングアウトは、

こうして飛び込み、

深く潜ってキンメダイの気持ちとなっていた。

いや、ヒラメか。

そんなようなこともサーフィンにはあります。

お、中村竜さんから連絡があり、

「きょう、13時38分に台風からの第一波がやってきます」

とあったので、

すぐに「行きます」と返信した後、

先の、

瀧朗との会話を思い出していた。

【巻末リンク:法王だったり、フレッチャー始皇帝と摂政たちのさまざま】

【特大号】「Saluto Fletcher!」(サルート・フレッチャー)@千葉_(3456文字)

【巻末リンク*2:コスタリカ・スキッパーフィッシュ66】

【テクニック編(映像)】キャッチサーフ スキッパーフィッシュ6’6″_ミッドレングスでのダックダイブ(ドルフィンスルー)講座_(1449文字)

Happy Surfing!!


特大号【サーフィン研究所】金狼ボンザー1971完成!!_(3015文字)

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“The Bonzer”

ボンザー、1971年。

私が5歳かおよそ、

6歳になった頃にこのサーフボード・デザインが誕生していた。

Bonzer 1973

サーフィンを始めて、

そのボンザーを見ることになった。

先輩には「こんなの時代錯誤だよ」

と聞かされたけど、

未来の乗り物のようで、

その先輩はデザインにヤキモチを妬いているようにも映った。

ボンザーを見る度に動揺していた。

こんなものは乗れるのか、

もしかすると奇跡なのかとか。

スタイルが良すぎて心配になったのかもしれない。

ボンザー。

私にとって鮮明な記憶がある。

「1973年製さ」

そう言いながら総帥が見事に操り、

ウナギクネクネという言葉が沸いたと、

いつかのカラーズマガジンに書いたが、

このじつは、

「昇龍(しょうりゅう)」であり、

または「流星号」だと感得したのだった。

その流星ボンザーは、

新旧、

真性、贋作、まがいもの、

良品、美品、傑作、

及第、落第品とさまざまあるが、

瀧朗が本家品をハンドキャリーしてきた。

それを法王がサーファーズ岬で乗っていたり、

His Holiness The 38th Dalai Raca

of Dragon Glide Productions

.

伊豆白浜で乗っていたり、

その時は下田駅前に行き、

法王が注文したエビワンタン麺を

「味見していい?」

瀧朗がそう聞くやいなや、

3個しかない1つをパクリと食べてしまったり、

そんなことまで思い出した。

けれど、

このボンザーではない、

あの博物館のボンザー1971年製の電撃であり、

総帥の 「天上天下唯BONZER独尊(1973)」であり、

そしてクリスチャン・フレッチャー

(本人はこれは1970年だと言い、

またはダブル・バレルの見立て通り1972年製か?)

の電撃のことが蘇る。

これでもない、

あれでもない、

これはどうかという年月が過ぎていった。

キャッチサーフに乗っていれば、

そんなことを忘れるのだが、

タイラー印のボンザーを見るたび、

またはボンザー風のフィンを見るだけでグワと熱くなっていた。

あのボンザーのことを考えて、

睡れなくなる夜もあった。

持ち上げると、

ずっしりとした重さがあり、

経年変化でクロスが痩せてザラザラしていたり、

古いボランクロス特有の質感だったり、

紫外線によって加齢変色した樹脂の色が浮かぶ。

しまいには考えることが怖くなったほどだ。

サーフィン博物館で出会ってからというもの、

ニール・ヤングのように探しはじめた。

『孤独の旅路』

I’ve been a miner for a heart of gold

魂を探し続けている

It’s these expressions I never give

だがまだ見つけられない

That keep me searching for a heart of gold

それが私が魂を求め続ける何かとなっている

And I’m getting old

私は年老いてきた。

(魂をボンザーと代えるといいです)

マーケットにボンザーならば山ほどあった。

けれど、

持ち上げると、

腕から電撃が走るズババ系は、

前出した博物館のと、

フレッチャーの1970か、

1973年のものしかくらいしか行き会えなかった。

(ズババについては巻末リンクを)

ドラグラ界では、

影皇帝で知られるタイラー・ウォーレンに作ってもらったり、

または、

法王や瀧朗が所有する、

カリフォルニアからハンドキャリーしてきた本家現代版ですら、

ロゴにクラクラするだけで、

ルイヴィトンとかと同じような光のピカだか、

ビカだと思っていたら法王がこちらを見ていた。

法王はピカチュウ似であるなと思った瞬間、

その恋慕するボンザーのことに決着をつけた。

探さずに待とう。

やがてやってくるからと。

だが、

その時はどんどん失われていくというか、

やってこない気がしてきた。

まだ待つ手はある。

けれど、

うーんとやっていると、

前田博士のお顔がふわりと浮かんだ。

タイラー・ウォーレンやライアン・イングルも良いのだが、

オピニオイスト(opinionist)なので、

「こちらの方が良い」

などと解釈を入れてくれるのだが、

「そうではなく、あのビビビが欲しい」

要望には、

純粋に応えてはくれないだろう、

そんなカウンター・オファーを含んでいるのであった。

前田博士と話をすると、

この壮大な事にのってくれることになり、

まずは相応のブランクスが調達された。

まだ初春のころだったので、

8か月ほど前のことだったのだろうか。

このクラシックなブランクスをハンドシェイプで落として、

その博物館1971ボンザーの製作が始まった。

その原型作成へは、

綿密な調査と精査がなされ、

完全無欠のシェイプが終わった。

これから1973年に向けて、

コンケイブというか、

ダブルバレルは深くなるということまで突きとめた。

博士オリジナルのボンザーが背景に見える。

そしてグラッシング。

1970年代を職工員として、

サーフボード製作をしていたサジーに聞くと、

当時はボートクロスと、

それ用の樹脂(レジン)を使っていたということになり、

それは8オンスだったという証言から

そのクロス探しを前田博士はし、

当時のレジンも調達してきて、

グラスオン・フィン、

ワイド・ラップ、

厚めのホット・コート

そしてリーシュ・ロープ部が追加されていった。

ボランクロスの粗い目が、

そしてボート・レジンを吸った質感というか、

あのときのボードと同じ比重を追加していく。

(日本酒の自動販売機が藤沢にあった)

冷か温かを緑か赤で選び、1杯300円!)

ややあって鎌倉や藤沢にいて、

エキマエで獺祭焼酎などを飲んでいたとき、

「完成しました!」

そう博士からビビビと連絡があった。

やや急ぎつつ、

金沢八景経由で千葉に戻ると、

その逸品は完成していた。

その48年の時を経て、

金狼(きんろう)は蘇った。

完全なる結果に大満足なる博士。

自身のデザインではないが、

こうして歴史から卓越を採り入れようとする姿勢と、

そして、

この大変なる過程を笑顔で過ごしてくれた前田くんに喝采を送りたい。

1970年代のグラッシング。

温故知新であり、

“Discover new truths by studying the past through scrutiny of the old.”

という古い教えから新しいことを学ぶことである。

ボンザーグラス・オンフィンも、

当時の仕上げにこだわり、

さらにはグロス&ポリッシュなどは一考にもしなかった。

フィンの後ろ側を削るのは、

1971ボンザーがこうだったからで、

さらには私のポリシーである

「安全に」という基準に合わせたからだ。

美しく削ることができて、

博士にほめていただくという一幕もあった。

バランス、

シェイプ・フォルム、

それら全ての概念がつながり、

大満足の博士。

私もあの日のズババが再び訪れて、

しかもこれが自分のものであるという歓びに満ち満ちた。

私のサイズ

6’3″ x 20-7/8″ x 2-3/4″

これを2020NAKISURFカレンダー、

MATRIXで計ってみると↓

190.5cm(長) x 53cm(幅) x 7cm(厚)

という3サイズなのでした。

ああ、うれしい。

これからサーフ行くぞ。

波がない?

いや小さいとも聞こえてきた。

けれどこのサイズなら膝もあれば十分乗れるだろうから。

【巻末リンク:電撃が走ったボンザー】

【落語】赤いボンザー by 鰻楽_(3230文字)

【落語のおまけ】

【日本の伝統芸能シリーズ】落語『夢の中の酒』_(3838文字)

Happy Surfing!

【サーフィン研究所&ドラグラ思想編】初乗り1971ボンザー_サザエさんと大谷翔平くん_桜新町ハガレ_藤沢フーディガイド_2021年の1月のイマジン_(1855文字)

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雨が降ってきたので、

晴れてすっきりとした画像をここに。

なんと虹が出た。

太陽が低いこの季節、

しかも千葉では珍しいと思う。

昨日、

ボンザー1971を前田博士から受け取って、

直行したのは勝浦。

マルイプロを開催していた部原海岸である。

部原をブバラカと呼ぶタキビ神と合流し、

メインピークはほぼブレイクしていなかったが、

時折ジュクオンからのウエッジと、

鴨川からの南うねりが合わさると、

なんとか岩盤の上でブレイクした。

ハレイヴァのケリー・スレーターのように、

ポケットに押し込むようなターンができ、

ボンザー特有のフルストットルからのトルク感まで味わうことができ、

忘れられない初乗りとなった。

博物館のボードは持っただけで、

波に乗るということはできなかった。

なのでサーファーとして、

歴史的な至福の時間を味わうことになった。

このボンザーを眺めていると、

48年間の時を超えるようで、

とても愛おしい視界となった。

サイズは昨日も書いたけど、

この組み合わせで、

私の体型なら

膝波から8フィートくらいまでの幅を乗れるものとなった。

ああ、

サーフィンとは不思議なものです。

さて、時間は遡ります。

これは金沢八景で見たマンボウ雲。

伊豆でアンディたちと、

マンボウのサシミを食べたので、

化けて出たのだろうか?

東京世田谷、桜新町。

サザエさんの街であります。

私はエンジェルスのファンであり、

それはすでに野茂さん時代からのMLBマニアであります。

エンジェルスの公式サイトを見ていたら、

なんと、

明後日のサザエさんスペシャルでサザエさん一家が、

家族旅行でロスアンジェルスに行き、

大谷翔平さんのゲームを観戦するとあった。

これも生涯サザエさんファンを自認する私にとっては、

ボンザー1971完成と同様に

「生きていて良かった」系のできごとであります。

さあ、TVがないのでどこで見ようか?

そんなことを思案中です。

その桜新町では、

カルディを中心に、

いろいろなところを歩いた。

こんなアーミッシュ系のイベントがあったり、

熱帯魚屋さん等、

興味深い時間を過ごした。

さて、

その桜新町での目的のひとつは、

『ハガレ』に行くこと。

下北沢に第1号店が出来たときから、

もう忘れられない記憶として焼き付いている。

圧巻は、

300円のグラス・スパークリングワインで、

この日はスプマンテが供された。

メニューにあるお高いボトルを見ながら、

おいしいフレッシュチーズを少量いただき、

至福時間を過ごし、

夜はゆっくりと更けていくのでありました。

翌日は、

藤沢まで行き、

8ホテルにチェックインすると、

フロントの壁にアンディやミケイラ、

総帥(アレックス・ノスト)

たちのサインを新しく発見した。

さらにはウナクネ(現ドラグラ)和尚(ジョエル・チューダー)と、

息子トッシュのものがあり、

少し前のダクトテープ・インビテーショナルの熱気を思い出した。

今回は8ホテルのフーディガイドの取材だったので、

エキマエのありとあらゆる可能性を探った。

創業昭和22年の『古久家』は、

まさに「のらくろ世代」で、

いまだにその余韻を残したようなメニュがあった。

(あえて昔風に音引き「ー」はせずに)

値段は100倍以上にもなったけど、

当時風のラーメンが悩ましい。

これもクラシカルなお店。

名店ビルの地下にまだあった。

ウインナコーヒーでも飲みますか。

8ホテルの地上にある銀色のエア・ストリームがヘアカリフォルニア。

来週カットの予約があったので、

その確認をしていると、

突然ラカ法王と、

ハービー・フレッチャー始皇帝がここにいたことを思い出した。

これこそは、

ドラグラ・プロダクションズの広報誌に使えるのではないかと、

ひっぱりだして聖式カルちゃんに送った。

NAKISURFからのお知らせです。

ありがたいことに、

2020カレンダーの問い合わせを多数いただいております。

まず壁掛け用のサイズは、

展開時はA3です。

なので、

みなさんが今お使いの2019年度版より、

132%大きく、

そして28ページが2冊付いて一冊のお値段となりました。

ちなみにこちらがビジュアル重視の

『Imagine』2021年の1月のレイアウトです。

100mバレルの写真を前から、

そして内側からの作品を晴れてここに公開しました。

お得な先行予約、

まとめ購入はこちらからです。

https://www.nakisurfshop.com/SHOP/30262/60543/list.html

来年もどうぞよろしくお願いします。

Happy Surfing!!

動画あり【サーフィン研究所特大号&ドラグラ・プロダクションズ合作】夢想流1971ボンザーその後_(2502文字)

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千葉の前田博士が48年も前のサーフボードを鋭意複製したのは、

ぜがひでもという私の熱いまなざしと、

博士の研究のためだった。

特大号【サーフィン研究所】金狼ボンザー1971完成!!_(3015文字)

依頼した私は、

ロゴとかシェイパーとか、

そういうのではなく、

あの当時のざらざら感、

つまりプレ・ピカピカというのか、

艶消し世界の君主がこの手に欲しかったのだ。

経年変化によって、

樹脂が飴色となり、

痩せて、ボランクロスが浮き出し、

グラス・オンされたフィン周りのロービング、

グラッシング・ラップもデコボコだった。

当時のグラッシング技術を掘り起こし、

博物館に置いてあるサーフボードを再製作し、

それを乗るというプロジェクトです。

結果がこれだが、

ほぼ半年+(プラス)後、

ボンザーは無事に完成した。

宇宙人に隠されたわけではなかったようだ。

それにしても運が良いサーフボードだ。

完成してからの波の良いことと言ったらそれにも驚かされた。

余談だが、

ドラゴン・グライド・プロダクションズ

という私たちが目指す波乗道というか教えの集まりがあり、

そこには、デューク・カハナモクを始祖とし、

ジョエル・チューダー和尚や、

始皇帝、魔界皇帝、番長、

団長、若頭、宦官(特に名を伏せる)などがある。

タイラー・ウォーレンは裏皇帝で、

これはスター・ウオーズ由来だったり、

はたまた三蔵法師、

法王、焚火神に教皇なんてのもあり、

アレックス・ノストなどは、

この世界では総帥だ。

その言い伝え、伝承には、

「(誕生時に)右手でサイドフィンを示し、
左手でセンターフィンの形をなぞらえ、
『天上天下唯BONZER独尊』と話した」

とされている。

「これは全世界でボンザーが一番尊い」

と、これまで広く解釈されていたが、

この場合のボンザーは、

サーフボードのシステムやデザインのことではなく、

「ボン=梵、ブラフマン:宇宙を支配する原理」

「ザー=3、参。欲界・色界・無色界の三界」

という思想のことではないか、

というのが、

最近の学説に多く見られる。

とにかく長くなりましたが、

マニア&ギークたちにさらわれてしまったボンザーを取り返すように、

当時「宇宙人が創った」ものが無事に完成すると、

台風崩れの嵐がやってきました。

そのテイクオフの早さに驚き、

その速度に膝は打ち震えた。

けれど、

次に考えたことが、

このデザインが、なぜ定着しなかったのか?」

ということだった。

自分なりの解釈は、

当時のサーフィンの多くには、

「クラシカルからのモダンへと転換する時代だった」

ということが大きく作用しているのではないか、

そんな仮説を立ててみた。

というのは、

ボンザーは持続する加速性能なので、

ハックやクイックでは、

トライフィン流派と対戦してはならず、

共に違う流派世界のサーフィンだったからだ。

とにかく1970年代前半は、

サーフィン世界の全体主義のベクトルが、

こちらのクイック・ターン(コンテスト主義)に向いて、

ジェリー・ロペスのようなクラシカルなロングターン、

スキップ・フライのファイン・トリムなどは忘れたい、

忘れようとしていた時代だったのではないか。

それがぽっかりと開いた空白というか、

デザインを記憶させる真空状態を作りあげ、

その中にボンザーがするりと入り込んで隠れていた。

そして、

最近の歴史発掘というか、

サーファーズ・ジャーナル誌等による掘り下げによって、

再びボンザーは発見され、

その輝きを取り戻している。

しかしいまだにマニア感たっぷりだ。

しかも前出したようにボンザーを愛するものというのは、

総帥もそうだし、

カラーズマガジンのヨゲさんもそうであり、

三蔵瀧朗もラカ法王もいわゆるオタク系である。

テイクオフし、

フルスピードでボトムまで降りていき、

波面が平らになるまで待って、

そこから飛び立つような加速トルクのあるボトムターンを引き放つ。

トップでは、

からまるようにリップに接水し、

次の加速命令までクールな顔をしているというようなサーファーたちだ。

当時——48年も前の彼らが、

多くに言いふらさなかったのは、

いわゆるカウンター・カルチャーの先駆者たちの意気というか、

「密に、秘密に」

そんな理由があったのだろう。

そういえば、

全体主義はアジアだけだと思っていたら、

アメリカにも欧米にも、世界全てにあったのだ。

【全体主義を決定する比率】

この比率こそが人の性の特性であり、

働きアリとそうでないアリの比率なのだと、

いつかのニュートン誌にそうあった。

【検証】

そのテイクオフだが、

連続写真を得た。

6’3″なのに、

この位置から漕ぎ出せる。

ここは、

他のサーファーにとって、

まだまだ「崩れる前の波」でしかないので、

かなりのアドバンテージとなる。

みんなが気づく頃には、

テイクオフの体勢に入っている。

しかもこれだけのオフショアにあおられても行ける。

なので、

このテイクオフが、

どこまで早いものなのかがお分かりになるだろう。

いわゆる混雑知らずなので、

波を獲りすぎないように、

誰よりも沖で待つのはいつものこと。

これによって、

波機会が半減するが、

逆に大きなセットに乗れるという利点がある。

または全く乗れずに山岡さんの位置(次の沖の人)まで戻り、

何やらの昔話をしたり、

さらに岸に近づき、

勝浦高校出身の石井悟くんと、

最近の板前業界のいろいろを話すことになるが、

それらには、

ここでは触れない。

混んでいるのに、

誰とも競わないで乗っていたら、

夢想流みたいな心地となった。

それは私が夢想権之助となり、

南房山の春日神社で祈願し、

滑走術の研究を重ねた結果と合致した瞬間であった。

七里ヶ浜のサーフィン研究所、

奄美大島用安の支所、

土佐高知の青龍寺の裏での修行が達せられたようでありました。

これは別の波。

沖のラインナップよりも数十mも沖から乗ることができた。

やはり夢想流である。

下手をするとロングボードよりも早くテイクオフができる。

ボンザー1971はやはり宇宙から来たものだと、

確信を得た日でもありました。

その動画↓

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所特大号】1971ボンザーの奇縁はルンビニ玉前で!?_今週末は伊豆でアンディ・デイビス原画とグループ展_(3005文字)

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一宮のアウトサイドがバックドアみたくなっていた。

実際には、

あの例の引き攣れたように崩れる、

トップというか泡リップ。

けれど斜面は長く、

そして切り立ったり、

緩やかになったり、

まるでスノーボードのようだった。

玉前神社由来で思わず、

『玉前バックドア』と名付けるに至る。

ボンザー1971は、

その波運を引き寄せ続けている。

またそれは奇跡のようだ。

ラカ太郎と二郎くん。

父ちゃんことアキくんが、

「ブバラカ見ましたが、風が悪いです」

「マリエル、入ります」

「やはり入るのを止めました。夷隅に戻ります」

「いすみクローズです」

そんなことを聞き、

私の知っている一宮から数百m沖のサンドバーを伝えたが、

まだまだ海が落ち着いていないという。

満潮に近づく昼頃、

その一宮沖を見に行くと、

くだんのバックドアのようなセット波を沖で見た。

すかさずアキくんに電話し、

「ここ、かなりいいです!」

そんなことを伝え、

あわててウエットに着替えて出撃しようとすると、

遙か向こう、

海水浴場からひとりのサーファーが戻ってきた。

流れはどのくらいあったのかを聞いてみようと待つあいだ、

ボンザー1971にワックスを塗る。

テイルエリアやレイル付近は内側(ボトム)まで。

これで滑らない。

手から離れていかない。

戻ってきたそのサーファーのボードの持ち方から上級者と判断し、

流れを聞いてみると、

「すごい流れです。戻れません」

「沖でも?」

「はい、沖も白子の方に流れています」

それを聞いて新しい作戦を考えた。

それは、

玉前バックドアの上流(200m太東側)から沖に出て、

なるべくバックドアに留まり、

ワンチャンスで狙うということ。

もし流されたら堤防北側のライトに乗り、

そのまま海水浴場に上がるというものだ。

パドルアウトするも、

堤防のラインからなかなか進まずにいた。

ようやく沖まで出て、

「この辺りかな」

そうやって波待ちしていると、

こんなセットが来て、

思い切り喰らって、

ボンザーごとキンメダイの生息地くらいまで沈められた。

ワックスをちゃんと塗ってあって良かった。

(ボードを離してしまうと、浮上までが遠くなる)

結局、

まだそこはインサイド・セクションだったと知らされた。

そこから具体的に左腕50回目のパドリングで、

ようやくピーク辺りに到着したのだが、

そこからは大きな堤防の沖側の全容が見えた。

陸から見ていると、

ここまで遠く感じなかったが、

海とは広いものである。

これが1本目。

長く、

まるでケリー・スレーターのウエーブプールもこうなるのではないか、

そんなことを思った。

しかもショルダー翼が長い、

数百mに渡るスロープが視界に届く。

ボトムターンをすると、

背中しか見えなくなってしまうほどのエグレだった。

この波の良さに震える。

なんと運が良いボードだろう。

誕生してからというもの、

さまざまな斜面を滑る幸運の金狼。

(巻末リンクを参照ください)

お、バレルかと瞬時に判断して張り付くが、

砂地なのでそこまで掘れ上がらず、

全速のまま、

次のセクションへ。

このエリアは、

たぷたぷの、

千葉ドリームと言いますか、

そんな波質。

ややあって、

次のセクションと結合した。

セクション後方に入ってしまったが、

ボンザー1971の

『持続する加速性能』を知っている身としては、

まだまだ大丈夫だと確信する泡距離だった。

波の前まで出て、

ウニーっとばかりにテイルを踏めば、

こんな感じで前に出られる。

やはり距離が出るボードデザインは傑作だと思う。

これで泡の下で直下してしまうと、

斜めにブレイクしていく8ビートの波の芯から外れてしまう。

セカンド・セクションが終わる。

終わってもさらに次のセクションがやってくる。

出来の良い映画のようだ。

サードはそこまで切り立たず、

それはまるで大きなセクションとの連結部分のようだった。

多分堤防からの流れが関係しているのだろう。

掘れ上がらずに、

ウエーブプールのような壁を通過する。

フォース(4th)・セクションは、

リッパブルだった。

Dセンパイではないが、

クヌヤロ・クヌヤロとぶちかましていることだろう。

ここを距離の出るオフザトップで進む。

バウンスして、

長く引っぱりながら降り、

この泡のセクションの前に出る。

フローターと言えばそうだが、

ヒッティングしているのでオフザトップだと思う。

降りながら速度を保ち、

また次のセクション待ちとする。

前出した波の芯のエネルギーは、

ここまでサイズを下げても残っていて、

波のパワーゾーンが継続する。

まだ続く。

フィフィス・セクションだ。

偉大な波と、

さらなる波が重なった5番目の山。

結局6番目のセクションにクヌヤロしたところで、

フィンが砂に付いて上陸と相成った。

タキビ神の言うところの『成仏』である。

「これはですね、
“目覚めたもの”ということを意味していますハイ」

タキビ神の教えは、

ドラグラ徒にとっては宇宙の真理とされるので、

ここまで長い波に乗って上陸すると、

その真意が少しだけ読み解けた気がした。

ボンザーに大感動。

千葉の波に改めてありがとう。

河合和尚にジマンして、

「200mは乗りました」

そうSMSで伝えるも、

はて、もっとあったかもしれない。

そんなことを思い、

グーグルマップを引っ張り出して、

200m縮尺ルーラーを当ててみると、

ちょうど2本、400mもあった。

写真はPで撮られたものだ。

驚愕。

さて、父ちゃんアキくんも、

「なんだ、かんたんだなと思いました」

そんな感じでパドルアウトしてきてこの波を得た。

Catch Surf ODYSEA® X DFW Barry McGee Pro 7′

Nakisurf Original Twin fin

.

さすがである。

父ちゃんは、

軽〜く堤防横まで乗って、

こちらも二郎くんではないが、

「かんたんでした!」

二世代オリジナルのかんたんライドを見せた。

ああ、すばらしき日。

そして前出したタキビ神に報告すると、

ここが龍滑巡礼の八大聖地のひとつ、

ルンビニではないかとおっしゃっていた。

ならば、

『ルンビニ・玉前(たまさき)』と、

リ・ネームしてこの稿を閉じたい。

【お知らせ】

伊豆下田市。

道の駅開国下田みなとの特別展示室で、

ホストタウン記念で製作したアンディー・デイビスの大型原画の公開があります。

2019年11月30日15時より(入場無料)

同時に写真展も開催され、

伊豆の奇跡土屋ターさん、

レジェンド&人格者水口さん、

新鋭マリーさんと、

私のカリフォルニア作品を展示いたします。

さらには、

サーフィン映画では、

あの伝説作をショート版とし、

デジタル版で上映するので、

前述した父ちゃん、

ラカ太郎&二郎くんに聞くと、

「行きます!」

そんなイベントとなりました。

ケイスケたちも、

瀧朗一派も来ないかな。

アンディもインスタグラムで

「もうすぐです」

というポストをしていた。

具体的には、

『ホストタウン記念・アンディー・デイビス原画を公開』

30日土曜日、道の駅開国下田みなと16時です。

これがそのポスターです。

どうぞお誘い合わせの上、

お越しください。

伊豆の予報概況ですが、

金曜日が冷えて、

土曜日がまあまあで、

日曜日の波が良さそうです。

白浜、大浜、入田浜、弓ヶ浜、

そんなビーチが目に浮かびます。

またこのくらいの波があるのかな。

小さいかな。

おいしいお食事も含めて楽しみです!

【巻末リンク:金狼とは?】

特大号【サーフィン研究所】金狼ボンザー1971完成!!_(3015文字)

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所&NAKISURF特大号】渾身カレンダー2020_フィン周りについて_(2727文字)

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こんにちは、

週明けの今日をいかがお過ごしですか。

今年も残すところ35日となりましたね。

ここで、

2020NAKISURFカレンダーのお知らせです。

これはNAKISURFオリジナルとして、

毎年の刷新と改訂を繰り返しています。

記念すべき2020年版の特徴としましては、

展開時A3サイズ(297mm×420mm)と大きくなりました。

かんたんに言いますと、

横幅30cmくらいで、縦が42cmです。

NAKISURFカレンダーの魅力は、

「波乗り魂」です。

そして、

「海からのインスピレーション」

でした。

それに「機能性」を加えつつ、

綿密な改訂後に完成しました。

18の便利機能としては、

1.サーフボード用のサイズ変換表

2.生活度量衡(どりょうこう)

3.360方角、八卦、八方位、四方位、十二方位表を尊載

4.日本の休日、祭日

5.アメリカの休日やイベント

6.新月満月表記

7.各地の平均水温

8.二十四節気(にじゅうしせっき)

9.サーフ偉人の誕生日(デューク・カハナモク、エディ・アイカウ)

10.ワックス表

11.夜明けと日没の時間

12.華氏摂氏温度換算表

13.余白メモ覧

14.昭和平成令和での年

15.前月、翌月、翌々月表記

16.数の桁数表

17.永年保管できるように冊子タイプで

18.翌年はポスターとしても(ポスター部にはロゴを入れておりません)

そうやって、

あれもこれも網羅し、

サーファーにとって、

または自然界で生きていくのに必要なこと、

思想のアイディアとなる情報と直感を網羅した実用的なカレンダーとしました。

そして、

毎日の気持ち用に、

ビジュアルを満載するカレンダーへという両極を目指しました。

これは機能性版『マトリックス』と別に、

ビジュアル版の同サイズ、

フルページのカレンダーを製作しました。

これをサービスで、

つまり2部でも1部価格とし、

さらには昨年と同様に値段を据え置きました。

作品はほぼ新しいものですが、

みなさんがご覧になったことがないものも入っております。

そして数年間のご要望にお応えしまして、

古典というか、クラシックも入っています。

キャプションのほぼ全ての作品に書き下ろしで入れました。

この中でも、

ボーナスで入っております再来年、

2021年1月のキャプション文章が、

これまでのサーフィン文学の集大成だと思っています。

題して

“Revelations of the Present”

『啓示された提示』です。

むずかしくも読めますし、かんたんにも読めます。

デスクトップ版も含めますと、

50点以上を使った超カレンダーでございます。

まとめますと、

コート紙135kgの波乗魂号が二部、

そしてデスクトップ版、

合計3種類のご案内です。

初回限定数の発行です。

お得な先行予約だったり、

まとめてのご購入でしたらこちらのページをご利用ください。

https://www.nakisurfshop.com/SHOP/30262/60543/list.html

来年もどうぞよろしくお願いします。

【サーフィン研究所:フィン周りについて】

元々ボンザー好きなのだが、

1971のレプリカが完成してからというもの、

やたらと波が良く、

熱病のように波に乗っている。

(巻末リンクを参照ください〜)

きっとこのボンザー1971の話題は、

ずっとやっているので、

もう終わりにしないといけないのだろう。

1970年、

オクスナード(カリフォルニア州ベンチュラ南)

の猛烈なサーフキッズだったマルコムとダンカンのキャンベル兄弟は、

ボンザー星から断続的に発信される有意電波信号を受信した。

その解析を進めた。(1970年)

翌年には、

1973年より搭載される激烈なコンケイブの始祖、

サイドフィンに沿ったボンザー・ラインが入っている奇跡。

このシステムの特性は、

中央スロットで受けた水流を、

サイドフィンであり、

ボードの一部でもあるボンザーブレードが中央に流すというもの。

よって、

持続する加速性能を得る。

そして、

高速となっても安定するように、

その流れを受け止めるセンターフィン前方が、

サイドブレードの後方と重なり、

水流のほとんどをセンターフィンが受ける。

前田博士は、

私からそのオリジナルのレプリカ制作を受諾し、

このブランクス、

ボラン8オンス、

そしてボートレジンと調達。

ほぼ半年以上もかけて調査と研究を重ね、

ついに千葉北、

東浪見志田下周辺のサーフボード研究所で再誕生した。

部原の初乗りを経て、

一宮海水浴場、

そして勝浦串浜の銘波とやってきて、

そして一宮のルンビニ玉前でラージサイズに参拝した。

速度が出るからか、

右側のターンのときにフィンが左側より抜けない感覚があった。

そんなことがあり、

ボンザー復活の地である

ルンビニ玉前付近南西側に位置する前田博士の研究所に向かった。

すると、

博士はフィン周りを触ってこう言った。

「そういうことでしたらセンター右内側の、根付近のふくらみですね」

「ほうほう」

「フィンは、

飛行機の翼のように中央から美しく薄くなっていく必要があります」

「そうなっていないと博士は言うのだね」

「はい、(この1971ボンザーは)

昔のグラッシングを再現しているのででこぼこしています。

そのおかげでかなりの樹脂厚があります。

いくらでも調整可能ですからやってみましょうか?」

そんなことになり、

前田博士の監修でそのロービング根本を削ってみた。

ついでにサイドフィンもガリガリして、

フォルムを整えた。

一度水で流して、

確認していただき、

これで完璧ですとお墨付きをいただいた。

それにしても高速となると、

サーフボードのいろいろがわかる、

わかりますね、

ということになった。

愛おしいボンザー1971。

左右バランスが整いました。

これがあんなに速く滑走するだなんて、

にわかには信じがたい。

これこそが48年も前のデザインであり、

達人たちにより長い間秘密とされたものだ。

秘伝なのか、

秘密の舟というかそんなもの。

それにしても前田博士は、

サーフボードおたくであるから、

サーファーズ・ジャーナル誌の定期購読シャツとかを着ていそうなのに、

彼の趣味はロック系だ。

今日はガンズのLSを着ていた。

スケートボード・バージョンがすばらしい。

フォルムを調整し、

右根を変えたものに試乗した。

千葉北、

水温は温かく、

勝浦と全く同一だった。

で、

勝浦で得た、

ルンビニ玉前で得たあの日の速さが蘇り、

そして右ターンのひずみも消え、

左右バランスは揃っていた。

さすが博士である。

完璧です。

Dr. Maeda at his Research Institute “Evolve ”

.

【巻末リンク:熱病ボンザー1971】

動画あり【サーフィン研究所特大号&ドラグラ・プロダクションズ合作】夢想流1971ボンザーその後_(2502文字)

Happy Surfing!!

 

【サーフィン研究所】未来永劫に遭遇_なぜミッドレングスなのか_(1026文字)

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Catch Surf Skipper Fish 6’6″

Nakisurf Original Twin + VEKTOR VT

Kumomi, Shizuoka, Japan

雲見、静岡県

.

伊豆の旅の途中で、

こんな洞窟を見た。

私からは外を見ているのだが、

朝陽側は、

私が内側にいるという不思議。

朝陽があふれる場所まで近づいてみると、

光につつまれて、そこは未来だと感じた。

次に私は、

無限に続く光の中に引き込まれていきました。

そしていつしか、

私は私でなくなり、

自分という存在までも光の中に吸い込まれていき、

私は、

私という光の結晶になりました。

そんな不思議と奇跡の朝陽でした。

未来永劫

そんな言葉が降りてきて、

自分の中に入り込んだ伊豆の旅。

不思議なタイミングの令和元年の師走です。

【第二部:テクニックというか考え方編】

さて、

ダックダイブ。

日本ではドルフィンスルーなどと、

メルヘン系の名前を付けている。

サーフィンの技というか、

サーフボードを使った体技は、

ボードを沈ませて、

波の下をくぐらせて沖に向かうという方法である。

キャッチサーフ。

しかも66(シックス・シックス)となると、

浮力感があり、

それはきっと8フィートのガンを沈ませるような体感となる。

よって、

これに乗っていると、

多くの人から、

アメリカ人からも

「それでダックダイブできるのか?」

そんなことを聞かれる。

答えは、

「もちろん」

私はCJネルソンが、

10フィートログでダックダイブしたのを目撃したし、

クリスチャン・ワックも9’10″を沈めていた。

なので、

6’6”ならば軽くテイルまで沈められる。

練習すれば一発です。

人の能力とはそこまで高いものである。

なぜ大きめのボードを乗るのか?

1.機動力を増したい、

2.排気量(馬力)が欲しい、

3.さらなる速度で滑りたい

4.ネクストレベルを求めている

そんなところだ。

トルクもあるし、

大きいので沈めがいがある。

サーフィンでは、

沈める=イコール反発である。

単純に、

実際にもだが、

ミッドレングスは高反発であり、

それによってサーフィンは激的に変わる。

乗らない人は、

この「激的」が嫌なのか、

怖いのだろう。

それにしてもこの反発を使って波の中で弾けるような感触って、

他に何があるのだろうか?

速度が付いたときは、

ターンに入る瞬間、

うれしくてクラリとする。

Happy Surfing!!

and Happy Lifestyle!!

【サーフィン研究所】ボンザー1971との旅_NAKISURFカレンダーの詳細とご紹介_(2673文字)

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初めてのボンザーというサーフボードを、

サーフ博物館で見た。

正確には、

サンクレメンテの*サーフィン遺産文化会館にあったのを手に取った。

*Surfing Heritage and Culture Center

この取材に同行してくれた館長が、

「持ち上げなさい。ドーゾドーゾ」

というので、腕に抱えた。

バリバリっと電撃が走った。

その時の感激に乗りたく、

数年かけて探し続けたが、

見つかっても博物館のように乗れるものではなく、

またはとっても高価なものなので、

自分のものにはならなかった。

そこで、

フル・レプリカを当時の素材のままに前田博士に作成を依頼したのが、

このくらい寒い春頃の話だった。

完成してからの波運と言ったら、

キャッチサーフ・フリークの私をして、

この古代ボードの性能が異様によろしく、

それは、

私の想像と予想と期待を遙かに超えるものだった。

やはり宇宙からの交信だったのか、

そんなことすら思い付くほどの1971初期版。

クリスチャン・フレッチャーの縁で、

1973ボンザーは乗った。

緩い波で速い。

踏み続ける限り加速が続く。

そんな印象で、

バリバリとした気持ちになっていたのだが、

借り物なのでお別れが近づき、

タイラーにお願いして1973ボンザーをコピーしてもらった。

無事に完成して、

奄美大島にやってきた。

バックドアの駐車場でこのように置いて写真を撮った。

こちらの赤ボンザーもすごい波運で、

2月の頭にフル台風波がやってきた。

だけど、

あの日のオリジナル1971がやはり欲しい。

(ただ単にタイラーが初期ボードを所有していなかった)

あの薄いボンザーコンケイブと、

レイル等の絞りというか、

シャープさが欲しかったのだ。

千葉一宮のビーチブレイク。

「ルンビニ玉前」でのフルスピード。

タキビ神と行ったブバラカ岩盤での、

ハレイヴァ・ターン。

このボンザーの加速は、

激速ビーチブレイクをパーフェクトに変える。

そうこうしている内に

アンディ・デイビスの原画展があったので、

伊豆にまでやってきて、

子どもたちと一緒に膝腰波に乗った。

このサイズでもご覧のようにレイルは波に立ち、

速いことを伝え、

乗ってくれた小学生の太郎くんの感想もまた

「速いですこれ」ということだった。

余談だが、

これはその伊豆イベントのジャンケン大会の決勝で、

ジローくんがグーだけで勝ち上がっていった証拠ともなっている。

そして父由来の土肥に向かうとき、

雲見という地名に感動していたら、

ここで美しい富士山を見た。

で、

友人に会いたいのと、

この1971ボンザーを傑作波で滑らせたく、

まる一日車を南に走らせると、

なんと、

こんな波が無人でブレイクしていた。

じつはこれはサーフ後の写真。

なので自分たちだけの足跡が砂浜に付いている。

そんな奇跡のような、

もしかすると、

1971年にタイムスリップしたかのような錯覚に陥った日。

ということで、

新章に突入です!

すると今朝、

BLUE誌編集長の戸井田さんから

「巻頭コラムの他、旅について何か書いて欲しい」

そんなご依頼を受けました。

多くの読者を抱える全国誌であるブルーに書き、

私の気持ちを伝えられるのは本当にありがたいことです。

さて、

冒頭に掲げました2020NAKISURFカレンダーのお知らせです。

NAKISURFオリジナル・カレンダーは、

おかげさまで毎年大人気で、

その刷新と改訂を繰り返しています。

オリンピックイヤーである2020年版の特徴は、

展開時A3サイズ(297mm×420mm)と大きくなりました。

そして、

NAKISURFカレンダーの魅力は、

「波乗り魂」であり、

「海からのインスピレーション」です。

それに「機能性」を加えて、

マトリックスという機能版カレンダーが完成しました。

19もの便利機能がございます。

1.サーフボード用のサイズ変換表(4’10″から10’0″まで!幅も厚みも)

2.サーフ&生活度量衡(どりょうこう。換算表)

3.360方角、八卦、八方位、四方位、十二方位表を尊載

4.日本の休日、祭日

5.アメリカの休日やイベント

6.新月と満月の表記

7.各地その月の平均水温

8.二十四節気(にじゅうしせっき)

9.サーフ偉人の誕生日(デューク・カハナモク、エディ・アイカウ)

10.ワックス表

11.各地の夜明けと日没の時間

12.華氏摂氏温度換算表

13.余白メモ覧

14.昭和平成令和での年号

15.前月、翌月、翌々月表記

16.数の桁数表

17.永年保管できるように冊子タイプで

18.翌年はポスターとしても(ポスター部にはロゴを入れておりません)

19.書き下ろしキャプション(サーフ啓示や毎日のハッピーのために)

サーファーにとって、

または自然界で生きていくのに必要なこと、

思想のアイディアとなる情報と、

直感の種子を網羅した実用的なカレンダーとしました。

そして毎日の気持ち用に、

ビジュアルを満載するカレンダーへという両極を目指しました。

これは機能性版『マトリックス』と別に、

ビジュアル版の同サイズ、

フルページのカレンダー”IMAGINE”を製作しました。↓

ミニマリズム。

最小を目指して、

けれど曜日のデザインもなされ、

新月満月なんてのもあり、

とにかくビジュアルにこだわった毎月ページのフルカレンダーです。

これをバンドル、

つまり2部で1部の価格とし、

お値段を昨年と同様に据え置きました。

こちらも書き下ろしのキャプションが入っています。

上の作品の二枚目には、

「“Andy reached the apotheosis of true surfing”」

と題しまして、

「真のサーフィンには、ある観念の徹底的なる修行がある。

それに没頭し、超越したものだけが到達するスタイルがある。

「滑走の歓びを澄明なスタイル」で表現する稀代の天才は、

十代のころにはすでに神化していたのだと驚かされた。Andy Nieblas, 2014」

と記されています。

さまざまなインスパイアがありますように。

デスクトップ版も含めますと、

50点以上の作品を使った超カレンダーでございます。

まとめますと、

コート紙135kg、

A3サイズの壁掛け版の波乗魂号が二部(2種)、

そしてデスクトップ版、

合計3種類のご案内です。

初回限定数の発行です。

お得な先行予約と、

まとめてのご購入はこちらのページをご利用ください。

https://www.nakisurfshop.com/SHOP/30262/60543/list.html

来年もどうぞよろしくお願いします。

Happy Surfing 2020!!


【サーフィン研究所】足摺岬と四万十市のラキ・ラニ・サーフ・ビーチ_(1665文字)

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四国最南端の足摺岬までやってきました。

お目当ては補陀洛院(ふだらくいん)金剛福寺でして、

ここで五智如来、

十三仏、

千手観音の108体の仏さまの一部を写真に収めました。

私は無宗教というか、

他の日本人の多くの方と同じ、

神道も仏教も、

そしてキリスト教も宗教の良いところを受けるという

「父教」です。

最近『空海』についてとても興味深く学んでいます。

これも徳島は宍喰の永原レキくんだったり、

ドラグラの河合和尚がみくろど(御厨人窟)付近に住んでいたり、

そして今滞在しているのが、

青龍寺の裏手だったりするので、

その影響でありましょう。

1200年前に日本に起きた奇跡。

さて、

カレンダーですが、

デスクトップ=卓上版の表紙が上の画像でして、

もうすぐやってきます新年1月がこちらです。

この波、

コスタリカのプラヤネグラのものです。

画像の加工はしていないので、

こんな夕陽前のグリーンゴールドのめでたき、

そして美しい新年となりそうです。

A3サイズ/コート紙135kgの壁掛け版の波乗魂号が二部(2種)、

そしてこのデスクトップ版、

合計3種類が初回限定数で発行されます。

お得な先行予約と、

まとめてのご購入はこちらのページをご利用ください。

https://www.nakisurfshop.com/SHOP/30262/60543/list.html

2020年もどうぞよろしくお願いします。

金剛福寺の1時間東にあるのが、

『Laki Lani on the Beach』というキャンプ場。

ここはケイソンだったり、

ポイくんやDJ・VCA(宇賀くん)だったり、

タヌくんやジェイくん、

アンドリュー・キッドマンが来た由緒正しきビーチだが、

ここに高知新聞の社主のお一人金山氏をお連れした。

彼はこの夏よりサーフィンに目覚め、

私の指導を心待ちにしており、

ビーチブレイクで、

第一段階から第二段階のいろいろをご指導させていただきました。

『Laki Lani on the Beach』のマナブくんは、

朋輩うどんのマナブくんと同一人物であるが、

彼によるとこの右側の地形が良いらしく、

なるほどサーファーが何人か入っていたので、

左端のレフトが無人ということで、

金山さんとそちらに向かった。

無人だが、

レフトがすこぶる良く、

ナッキーに

「3本だけ撮ってくださいね」

そうやってパドルアウトしたら、

二本目で美しいバレルを得た。

本当に良い波でありました。

学くん、

早く来たらいいのにとキャンプ場を見ると、

彼のであろう白い軽トラックがやってきて、

Wind and Seaのおみっちゃんの車も坂を降りて来られた。

三本目は、

この1971ボンザーのフルスロットルで、

この地形独特の、

インサイドでヨレるように切り立つトップに、

カーブさせて撮影をマンライで終了した。

このボンザーは本当に速いので、

こんなセクションがやってきても何も問題はない。

少しホワイトウオーターにひっかかったが、

またここから速度を上げられる。

フィンの上に後ろ足を入れ、

踏み付けるようにねじり、

トップまで上がったら、

またテイルを踏んで、

今度は体の前方にねじる。

波の裏側でも加速し続けるので、

こんなカービングが可能となるのです。

降りてきました。

ふわりとするスリル。

「わかるかな、わからないだろうな」

そんな昔のCMが頭をよぎった。

金山さんも大満足のサーフセッション。

往復300kmのドライブの価値がありました。

駐車場でお会いしたのは、

箱根のノリさんで、

ヨガのCHICOさんや池田潤ちゃんとのつながりがあり、

このブログを見て、

四国に来られたということで、

こちらも奇遇というか、

不思議な縁でございました。

昨日の土佐佐賀道の駅ランチ。

ここは大好きな道の駅のひとつで、

トイレの標語とかいちいち楽しいのです。

そのまま土佐清水に向かい、

銭湯の殿堂である『旭湯』の水風呂と、

薬草風呂に交互につかり、

サニーマートで総菜をいただいて夜は更けました。

Happy Surfing!!

【サーフィン研究所】中村温泉からブルードラゴン_情景ボンザー_(1467文字)

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400円で入れる中村温泉というのがあり、

私の中では、

無料のマッサージチェアも含めて、

四国名湯のひとつに数えている。

ここでは、

冷泉と温に交互に浸かる。

「ふー」

だとか、

「ひゃあ」

という声を出していたのは、

無人だったからで、

おかげで体の調子が良くなった。

Bonzer 1973

.

急用ができて、

中村から青龍寺方面に向かうこととなった。

まだまだ土佐清水にいたかったのに、

石田さん岬をやりたかった、

清水サバを食べたかったのに残念だと肩を落とし、

寒い夜を通過すると、

美しい夜明け空を見た。

さらには、

ブルードラゴンの波がすばらしく、

結局1時間の休憩をはさんで、

7時間もサーフしてしまった。

休憩の理由は食事だったのだが、

寒い季節なので体内燃焼できるものをと、

きつねうどんとお餅とした。

これによって午後のセッションは寒くなることはなかった。

このボードの波運といったら、

ものすごいものがある。

このサーフボードに乗り続けているのは、

そんなさまざまなことが重なり合っていて、

しかもPUボードでサーフしすぎると、

肋間神経が圧迫されて痛むはずなのに、

「少し痛む」程度で、

なんとかサーフできている。

症状が緩和したのか、

治癒に向かったのかと自惚れたが、

よく考えると、

これはウエットスーツのおかげだと気づいた。

この季節は温かさを求めて厚いラバーをまとっている。

そんなプロテクトもある。

このボンザー1971、

つまりファースト・ボンザーの元々は、

博物館で見た瞬間に起きた一目惚れだった。

それから、

そして今までも数々のボンザーを見てきたが、

このファースト・ボンザーは、

エア・ジョーダンと同じファーストならではの輝きがあった。

想いが募り、

自分の見えるところに置いておき、

たまに乗れたらすばらしき哉(かな)と、

武者小路実篤さんの色紙文体になり、

やがて

「人生短い。したいことをしよう」

そんな帰結を持って、

レプリカ制作を前田博士に依頼したのが春のはじまりの頃。

季節は巡り、

子どもの誕生のように、

製造工程のプロセスがあり、

疑問や質問で悩んだりしつつ、

当時のグラッシングを目指して、

さまざまなアプローチがなされた。

これは1973年のもので、

コンケイブが深くなっているのがわかるだろう。

グラッシングもボロボロだが、

これでも充分に速かった。

それがボンザー・システムというサーフボード・デザインだ。

完成した途端、

ありとあらゆる場所の波が沸き、

ありとあらゆる波に乗っている。

「(経年変化によって)

ボート・クロスが樹脂を吸ってしまって浮き出た状態」

までも再現しています。

なので、

見た目も触っても上の画像のようにデコボコで、

ゆらりとうねり、

ザラザラしている。

この凹凸は、

乗り味には全く問題がなく、

むしろ速いかもと思っている。

ゴルフ・ボールのディンプル(起伏の穴)のようなものか。

それともサメの体表(こちらもざらざらしている)みたいなものだろう。

ここは文藝派の読者のために、

旧時代からの娯楽

『文章』

そして

『画』

というふたつを信条として編集しております。

なので、

よってあまり動画はないのですが、

撮っていただけると、

iMovieなどを使って、

とりあえずの動画作品にしているのも現状であります。

昔からある言葉に

「百聞は一見にしかず」というものがあり、

その意味とは、

「百回聞くよりも、たとえ一回でも見たほうが理解できる」

というもので、

こうして動画を載せてみると、

やはりわかりますね。

文章派悔しい。(笑)

Happy Surfing!!

【ビッグニュース!】最後のバリー・マッギーが2+1となってNAKISURFへ!(受注生産のため明日22時までです)_(1007文字)

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Christian Fletcher and Barry McGee

Photo by Takiro Sanzo

.

バリー・マッギーとキャッチサーフ。

5年前に

「キャッチサーフは、子どもたちに乗せたいサーフボードです」

そんなことで、

キャッチ・サーフ・ボード社と4年間も契約してくれた。

Barry McGee and 1973 Bonzer

Photo by Takiro Sanzo

.

そして4年をかけて、

約束通り、

DFWシリーズ4モデルを創造してくれた。

リーシュ・プラグがなかったり、

サイド・バイト、

フィンレスモデルなんていう奇抜なのもあった。

その中でも、

唯一無二の76モデルがある。

この画像のもので、

シングルフィンかフィンレスかが選べた。

これはバリにも持っていったし、

タキビ神の三種の神器のひとつ

『天叢雲剣(バリマギ・セブンシックス)』

なのでありました。

今年(2019)、

バリーと契約が切れる前にそのセブンシックスをベースに、

サイドバイトをプラスした2+1をスペシャルをお願いし、

それが快諾され、

このビッグニュースの運びとなりました。

正真正銘、

『最後のバリー・マッギー』

です!

こちらですが限定数です。

バリー・マッギー・モデルは、

コレクションされている方も多いので、

乗る用と、

コレクト用に2本までご注文可能です。

受注分プラスNAKISURF店頭用だけとさせてください。

こちらの受注分は急ぎまして、

3月末日の納品に向けて、

明日の22時に締め切ります。

詳しくはこちらをご覧ください!

【先行予約】ナキサーフ限定モデル ODYSEA PLANK 7’6″SIDE BITE / BARRY MCGEE Proご予約スタート!

さて、

サーフボードのデザインですが、

以前NALU誌の取材で、

タイラー・ウォーレンにしたのが、

「究極のサーフボードとは?」

という質問でした。

それを受けてタイラーは、

「もし、1本だけしか持てないとしたら」

そう前置きして語ってくれたのが、

長さ7’6″前後で、

2+1というフィン・セット・アップです。

グラフィック部分がフィンプラグで、

ノックダウン(消える)しないように、

グラフィックもずらしました。

そんなNAKISURFとバリー・マッギー、

そしてキャッチサーフ、

セブンシックスと2+1の奇跡のコラボレーションです。

今朝だけで友人からのオーダーを十数本いただきました。

オーダー受け付けは、

明日12月18日(水)の23時59分です。

お早めに!

Happy Surfing!!

 

【サーフィン研究所&ビッグニュース!】山ちゃんのモモと、太郎&二郎の今日と偉人タマちゃん、高知のおいしいもの_最後のバリー・マッギー『NAKISURFコラボ76!』(本日22時まで)_(1683文字)

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小さな低気圧が通過したら美しい日となって、

最高の波が出た。

Bonzer 1971

6’3″ x 20-7/8″ x 2-3/4″

.

テイルともレイルともつかない位置を踏んでズババと滑る。

このことについて、

室戸岬で高知の月の子(モンデンキント)とされる山ちゃんと話すと、

「やはりぼくは、ミヒャエル・エンデのモモが好きです」

そんなことを言う。

ぼんやりとモモのことを考えていると、

千葉茂原にいた太郎くんと二郎くんたちの写真が届いた。

孫のような気分であります。(笑)

『モモ』のあらすじは、

同名の少女が、

円形劇場(廃墟)に住みつくところから始まる。

モモは、

人の話に耳を傾けると、

自信を取り戻させるという不思議な力がそなわっている。

そのモモのところに

『時間貯蓄銀行』から「灰色の男」たちが現れた。

その灰色の男たちは、

人から時間を奪っていく。

Jiro and Taro at Chiba, Mobara

.

私も時間を奪われた。

きっと二郎くんも、

太郎くんも奪われているのだろう。

はっと気づくと、

私はこの年になっていて、

そして太郎くんたちは、

銭湯に行っていた。

有元くるみちゃん自家製の柚子胡椒。

味は一流で、

手描きラベルはアートに感じられ、

シャッターを押すと、

四国の偉人タマちゃんが、

スカイアンドシー・室戸にやってきた。

タマちゃんは、

カレンダー3種をゲットしてこの笑顔。

私たちは、

彼が焙煎したコーヒーをいただき笑顔となった。

さて、

室戸に来る際に高知市内に立ち寄ったのは、

『よさこい ふるさと広場』

にお弁当を求めたからだった。

まずはこのバナナ・シフォン。

半分でこの値段はおよそ半額以下だろう。

ちなみにプレーンは200円。

トンカツ

鯖焼き

玉子焼きその他で税込み380円。

ならば、

もう20円追加して、

NAKISURFが千葉の一宮にあるので、

験をかついで、

高知の一宮『ふき』の鯖寿司と鶏から揚げ、

カボチャ、

マカロニ&春雨としてマンライを得た。

(マンライ=満足ライディング)

次に向かったのは、

蔦屋書店モール。

1時間生ビール飲み放題1000円なんてのもあり、

酒豪のハイカラ・マコトくんとか、

しんじょう君=北野ヤスくんたちと来たくなった。

前出のくるみちゃん曰く、

「開店当初は尖っていたのですが…」

ということでした。

開店後、

少し大衆化してしまったようですが、

私的にはすばらしいと思いました。

前出の太郎&二郎くんたちも喜びそう。

先日滞在していた土佐清水の鰹節の名店があり、

探していた宗田節をここで得た。

なんと、

窪川の名店『満州軒』のジャン麺屋があり、

ここが一番人気だっただろうか。

じつはこの蔦屋さんに来たのは、

大好きなカルディがここにあるからで、

世界各国からさまざまな食材を得て、

室戸岬に向けて国道32号線を東上したのでありました。

ガシヤンの家を過ぎ、

国虎うどんの大きな幟を見ながら、

国道55号を行き、

安芸を過ぎると、

『道の駅 田野駅屋』にも立ち寄り、

10月に来たときにとってもおいしかった

「山北みかん-生産者顔写真入り』を探すも、

見つけられず、

その代わりこの北川村の「ゆず果汁」を発見した。

1800mlも入って2300円。

100mlあたり128円だと見当を付けた。

さらにこれは数日前、

かなり大きなマトウダイを発見し、

税込み298円という破格値だったが、

サシミとし、

馬路村ポン酢しょうゆ赤キャップでいただくと、

おどろくほどおいしく、

3人で食べてもたっぷりとあった1人100円のマトウダイ。

フランス料理なら高級魚であるが、

高知はマヒマヒ=シイラと同じで破格魚である。

【お知らせ】

昨日ここでお伝えした

バリー・マッギーとNAKISURFのスペシャルである

DFW7’6″ x AMAZE x NAKISURF =2+1の受注受け付けが、

本日水曜日の23時59分で締め切ります。

詳しくはこちらをどうぞ。

【先行予約】ナキサーフ限定モデル ODYSEA PLANK 7’6″SIDE BITE / BARRY MCGEE Proご予約スタート!

かなりこだわった最後のバリー・マッギーです。

基本的には、

受注生産のみですのでお見逃しなく!

Happy Surfing!!

DFW!!

【サーフィン研究所】9秒のうねりが30cmあれば_宇宙的な滑走感覚_過疎化のゴカイ養殖場_(1674文字)

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波情報を見ると、

「0.0m-0.3m」だとあり、

それは、

波の高さがフラットから30cmだと伝えている。

今度はうねりとうねりの間隔を「国土交通省港湾局」から求める。

すると9秒近くもあり、

「30cm高が9秒もあれば胸サイズは軽くある」

そんな目論見で、

この南南東うねりを受けるところに行ってみると、

まんまとあった。

小さいけど、

一人前でキリリとし、

そして確かな威力を持って迫る水の壁。

1000km先の風で大きく揺らされた海面の最後。

小説家にとっての栄養は、

旅と酒と浪費だと開高健さんは言っていたが、

サーファーにとっての栄養は波と時間、

そしてこういった「良い波」の記憶だと確信した土曜日。

NALU誌の最新号で、

池田潤ちゃんが、

抱井さんとマメ増田さんとでDTIについて対談していた。

潤ちゃんのボキャブラリーだったり、

歴史がわかり、

とてもためになった。

最後の抱井さんの言葉もいい。

「ロングボードらしくなってきたね」

すると、

今まではロングボードらしくなかったのでありましょう。

競技の世界は、

ある方面や方角だけで評価しがちなので、

私たちのような滑走感覚は理解されないのだが、

けれど理解されたくてやっているわけではないので問題がない。

例えば、

レイルから伝わる波の感触があり、

それがカカトから脳天へ一直線で抜けると、

昨夜見た宇宙の広さを感じられるほどに感激する瞬間となる。

波乗りは深い。

これがトリムというもので、

昨日書いたパイプライン・マスターズで、

各々のサーファーがしていたレイル・ワークもトリムである。

同一であり、

これはきっとこれから100年先も同じだろう。

『剣』の世界で言うところの「一閃」であり、

一振りの美学がある。

本日のメニュ−。

ウエットは極寒用を着ていたのだが、

思い切ってオール2mmにしてみたら、

全く寒くなかった。

やはり寒さを感じるのは風だと再確認した。

防寒用品を得なければならないが、

そろそろ売り切れ始めているので急がねば。

先日高知のカルディに行ったと書いたが、

行くとランチはこうなる。

カマンベールとチェダーチーズを焼き、

その上に苺だけで作ったジャムを一片に、

ルッコラをしき、

生ハムの切り落としを一片に乗せてサンドイッチにしたら、

意識はメキシコやフランス、

そしてサンクレメンテに飛んだ。

海外のサンドイッチには、

個性があり、

その記憶体験がそう感じさせるのだろう。

青龍寺奥の院の裏にあるカタサバ先生宅。

先生はまたハワイに戻っているので、

こうして使わせていただいている。

東側を向くと、

この視界。

ご近所の冨永のおばちゃんに聞くと、

この湾南全体で13世帯だけになってしまったと言う。

過疎化であります。

向こうにご近所さんである宗光さん宅が見える。

上の写真を拡大すると、

遠きご近所さんが写っている。

ここは元ゴカイ養殖場で、

広々と海沿いにビニールハウスが建っていて、

昭和の頃には盛況だったそうですが、

餌業界は、

中国産の台頭で跡継ぎが会社員となり、

廃業して、

そのまま廃墟となっているそうです。

とすると、

農薬等を散布したことがないだろうから、

オーガニックの作物を育てるには最適だろうか。

誰か、志がある移住者などがいたら、

何かしらの事業ができそうな気がするのだが、

ここまで来るのは、

交通が大変なので、

そんなことも含めて超過疎化となったが、

陽当たりがいいので、

捨て猫 to 地域猫となったニヤアたちが住み着いている。

一時は23匹もいたのだそう。

高知県は移住者へ大きく門戸を開いているが、

この宗光さんクラスの格安物件は他に何百もあるそうなので、

もしかしたらここを掘れば、

地域創成というか、

レベルの高いコミュニティができるのかもしれない。

これが前出した夜空。

タキビ神にお見せすると、

「やはり銀河鉄道は9両編成なんですね」

そう感慨深げだった。

それにしても夜空のきれいさは、

この過疎に比例して美しいものだと思える。

冨永のおばちゃんも

「寂しいから若い人たちが来てくれたらうれしいわぁ」

ということです。

Happy Surfing!!

 

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